日本大百科全書(ニッポニカ) 「永嘉の乱」の意味・わかりやすい解説
永嘉の乱
えいかのらん
中国、晋(しん)(西晋)末の永嘉年間(307~313)に起こった乱。300年に始まった八王の乱は、華北を大混乱に陥れ、晋朝統治下で圧迫されていた異民族に独立の機会を与えた。そのなかでもっとも早く活動したのは匈奴(きょうど)族であり、劉淵(りゅうえん)が304年に漢(前趙(ぜんちょう))国を建てると、山西を根拠に河南・山東方面を攻略、311年には晋の都洛陽(らくよう)を落として懐帝を捕らえ、破壊略奪をほしいままにした。翌々年懐帝が殺されると、愍(びん)帝が長安で即位したがもはや力なく、西晋は洛陽陥落をもって実質的に滅亡したといえる。316年愍帝が漢の劉曜(りゅうよう)に降(くだ)って翌年殺されると、司馬睿(しばえい)が建康に晋(東晋)を復興し、以後は北に五胡(ごこ)の諸国、南に東晋という政治的分裂の時代が続く。
[窪添慶文]