これで、楷書の用筆すべてが包含されるというものではないが、初学者向きに用筆法を説く便法とされたもので、唐宋以来盛んに行なわれた。
楷書の基本的点画8種が永の1字に包含されているとして,〈永〉字によって運筆法を説いたもの。その来源には張旭説,智永説,蔡邕(さいよう)・王羲之説の3通りある。一般には,後漢の蔡邕が嵩山(すうざん)の石室で書を学び,神授されたと伝えられ,蔡邕から崔瑗(さいえん),張芝,鍾繇(しようよう),王羲之を経て,王羲之7代の孫,隋の智永に伝わり,彼はこれを虞世南に授けて今日に伝わったとされる。おそらく,唐代に楷書の様式が定まるにつれて考案されたものであろう。八法とは側(そく),勒(ろく),弩(ど),趯(てき),策(さく),掠(りやく),啄(たく),磔(たく)をいう。側は点で頭を側(かたむけ)る姿に,勒は横画で勒(おさえ)る(抑と同義)気持ちで,弩は竪画で弩(いしゆみ)を張るように,趯は鉤(はね)で,趯(おど)る(躍と同義)ような筆勢に,策は仰横画で馬に策(むち)打つような勢いに,掠は長撇(ちようへつ)で長髪を掠(かすめ)るようにくしけずること,啄は短撇で,米を啄(ついば)む鳥のくちばしのように疾(はや)くするどく,磔は捺筆で肉を磔(さ)くような動きで,ということをさす。
執筆者:田上 恵一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「永」の字の各点画が、書法(用筆法)上のすべての基本を包含している、という解釈から、古くから「永字八法」の名で、書法伝授や手習いの初歩的段階の一方法として用いられてきた。各部の名称は筆順に従って、(1)側(そく)(第一筆の点)、(2)勒(ろく)(第二筆の横画)、(3)努(ど)(第三筆の縦画)、(4)趯(てき)(第四筆の撥)、(5)策(さく)(第五筆、左から右上に引く画)、(6)掠(りゃく)(第六筆、続いて左下へ引く画)、(7)啄(たく)(第七筆、右から左下に引く画)、(8)磔(たく)(第八筆、左から右下に向かって引く画)の8法。上下左右に放射する筆画に、実に的確な名称を冠している。唐時代の韓方明(かんほうめい)の説によれば、その起源はすでに隷書(れいしょ)体の生まれたころにあり、後漢(ごかん)時代の崔瑗(さいえん)より鐘繇(しょうよう)、王羲之(おうぎし)、智永(ちえい)に伝えられ、さらに唐に入り張旭(ちょうきょく)に相伝されたという。また「八法乃蔡邕(さいよう)所書古人用筆之術多於永字取法以其八法之勢能通一切勢也」(『和漢三才図会』巻27)とあり、漢時代の蔡邕(133―192)の考案ともいうが、確かな創案者は不明である。わが国には江戸時代に輸入され、手習いの初学者へ指導の便法として流行した。
[神崎充晴]
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