コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

池田騒動 いけだそうどう

4件 の用語解説(池田騒動の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

池田騒動
いけだそうどう

寛永 17 (1640) 年,播磨山崎城主池田氏の家中に起った権力争奪をめぐる御家騒動。藩主輝澄は新参の家臣小河四郎右衛門を重用したので,重臣伊木伊織らは反対派を糾合し脱藩,ために藩政は混乱に陥った。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

池田騒動【いけだそうどう】

江戸初期に播磨山崎(やまさき)藩池田(松平)家で起こった家中騒動。山崎藩家中騒動とも。山崎藩6万3000石の藩主池田輝澄は新参の家老小川四郎右衛門を重用,これに旧来の家老伊木伊織らが反発,伊木派の物頭衆らが脱藩する事件となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

いけだそうどう【池田騒動】

1640年(寛永17)播磨宍粟(しそう)藩主池田輝澄(輝政の四男)の家中におこった権力争奪事件で,宍粟家中騒動ともいう。輝澄は1615年(元和1)宍粟藩3万8000石を領し,31年弟輝興の旧領佐用藩2万5000石を加増されたので家臣の増強を図り,寵臣菅友拍の推挙で新たに大坂浪人小川四郎右衛門を家老に登用した。たまたま旗奉行別所六左衛門の小頭某をめぐる金銭問題のもつれが発端となり,旧来からの家老伊木伊織や物頭衆(11人)らと,新参家老小川と結んだ菅・別所らの両派に分かれて家中の権力騒動に発展し,物頭衆とその同志100余人が脱藩した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

池田騒動
いけだそうどう

1640年(寛永17)播磨(はりま)国(兵庫県)山崎藩6万8000石余の領主、譜代(ふだい)大名池田輝澄(てるずみ)の家中に起こった御家騒動。1615年(元和1)播磨姫路(ひめじ)藩池田氏は山崎(池田輝澄、3万8000石)、赤穂(あこう)〔池田政綱(まさつな)、3万5000石〕、平福(ひらふく)〔池田輝興(てるおき)、2万5000石〕の3支藩に分かれた。このうち、政綱家は1627年(寛永4)嗣子(しし)なく断絶、輝興家は1645年(正保2)狂気して改易となった。輝澄は1631年(寛永8)政綱の旧領播磨佐用(さよ)郡の3万石余の加増を得て6万8000石を領有した。しかるに輝澄は新参の小河(おがわ)四郎右衛門を重用し、家老伊木伊織(いぎいおり)と紛議を起こした。伊木ら100余人は脱藩するに至り、幕府はこれに介入して両派を処罰するとともに、輝澄は改易、一族の因幡(いなば)鳥取藩に預けられ、その堪忍(かんにん)分として因幡鹿野(しかの)1万石を得た。[小林 茂]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

池田騒動の関連キーワード宍粟藩宍粟市宍粟物欲しそう宍粟三尺宍粟市歴史資料館北海道石狩郡新篠津村宍粟千種〈町〉波賀〈町〉山崎〈町〉

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone