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池田騒動 いけだそうどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

池田騒動
いけだそうどう

寛永 17 (1640) 年,播磨山崎城主池田氏の家中に起った権力争奪をめぐる御家騒動。藩主輝澄は新参の家臣小河四郎右衛門を重用したので,重臣伊木伊織らは反対派を糾合し脱藩,ために藩政は混乱に陥った。江戸幕府は,伊木派中心人物を死罪,小河を預 (あずけ) ,輝澄を除封と裁断,事を収めた。

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百科事典マイペディアの解説

池田騒動【いけだそうどう】

江戸初期に播磨山崎(やまさき)藩池田(松平)家で起こった家中騒動。山崎藩家中騒動とも。山崎藩6万3000石の藩主池田輝澄は新参の家老小川四郎右衛門を重用,これに旧来の家老伊木伊織らが反発,伊木派の物頭衆らが脱藩する事件となった。1640年幕府裁許により,伊木父子や物頭衆などは切腹,輝澄は家中不取締の科で領地を収公され,賄料1万石で甥の因幡鳥取藩主池田光仲に預けられた。輝澄は蟄居先の因幡国鹿野(しかの)(鳥取県鳥取市鹿野町)で1662年に没し,子の池田政直が同年播磨福本藩主となった。→御家騒動

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世界大百科事典 第2版の解説

いけだそうどう【池田騒動】

1640年(寛永17)播磨宍粟(しそう)藩主池田輝澄(輝政の四男)の家中におこった権力争奪事件で,宍粟家中騒動ともいう。輝澄は1615年(元和1)宍粟藩3万8000石を領し,31年弟輝興の旧領佐用藩2万5000石を加増されたので家臣の増強を図り,寵臣菅友拍の推挙で新たに大坂浪人小川四郎右衛門を家老に登用した。たまたま旗奉行別所六左衛門の小頭某をめぐる金銭問題のもつれが発端となり,旧来からの家老伊木伊織や物頭衆(11人)らと,新参家老小川と結んだ菅・別所らの両派に分かれて家中の権力騒動に発展し,物頭衆とその同志100余人が脱藩した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

池田騒動
いけだそうどう

1640年(寛永17)播磨(はりま)国(兵庫県)山崎藩6万8000石余の領主、譜代(ふだい)大名池田輝澄(てるずみ)の家中に起こった御家騒動。1615年(元和1)播磨姫路(ひめじ)藩池田氏は山崎(池田輝澄、3万8000石)、赤穂(あこう)〔池田政綱(まさつな)、3万5000石〕、平福(ひらふく)〔池田輝興(てるおき)、2万5000石〕の3支藩に分かれた。このうち、政綱家は1627年(寛永4)嗣子(しし)なく断絶、輝興家は1645年(正保2)狂気して改易となった。輝澄は1631年(寛永8)政綱の旧領播磨佐用(さよ)郡の3万石余の加増を得て6万8000石を領有した。しかるに輝澄は新参の小河(おがわ)四郎右衛門を重用し、家老伊木伊織(いぎいおり)と紛議を起こした。伊木ら100余人は脱藩するに至り、幕府はこれに介入して両派を処罰するとともに、輝澄は改易、一族の因幡(いなば)鳥取藩に預けられ、その堪忍(かんにん)分として因幡鹿野(しかの)1万石を得た。[小林 茂]

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