1640年(寛永17)播磨(はりま)国(兵庫県)山崎藩6万8000石余の領主、譜代(ふだい)大名池田輝澄(てるずみ)の家中に起こった御家騒動。1615年(元和1)播磨姫路(ひめじ)藩池田氏は山崎(池田輝澄、3万8000石)、赤穂(あこう)〔池田政綱(まさつな)、3万5000石〕、平福(ひらふく)〔池田輝興(てるおき)、2万5000石〕の3支藩に分かれた。このうち、政綱家は1627年(寛永4)嗣子(しし)なく断絶、輝興家は1645年(正保2)狂気して改易となった。輝澄は1631年(寛永8)政綱の旧領播磨佐用(さよ)郡の3万石余の加増を得て6万8000石を領有した。しかるに輝澄は新参の小河(おがわ)四郎右衛門を重用し、家老伊木伊織(いぎいおり)と紛議を起こした。伊木ら100余人は脱藩するに至り、幕府はこれに介入して両派を処罰するとともに、輝澄は改易、一族の因幡(いなば)鳥取藩に預けられ、その堪忍(かんにん)分として因幡鹿野(しかの)1万石を得た。
[小林 茂]
1640年(寛永17)播磨宍粟(しそう)藩主池田輝澄(輝政の四男)の家中におこった権力争奪事件で,宍粟家中騒動ともいう。輝澄は1615年(元和1)宍粟藩3万8000石を領し,31年弟輝興の旧領佐用藩2万5000石を加増されたので家臣の増強を図り,寵臣菅友拍の推挙で新たに大坂浪人小川四郎右衛門を家老に登用した。たまたま旗奉行別所六左衛門の小頭某をめぐる金銭問題のもつれが発端となり,旧来からの家老伊木伊織や物頭衆(11人)らと,新参家老小川と結んだ菅・別所らの両派に分かれて家中の権力騒動に発展し,物頭衆とその同志100余人が脱藩した。幕府は40年7月裁断し,首魁とされた伊木父子および脱藩した物頭衆父子らに切腹を命じ,菅父子は死罪,小川は他家預けとなった。藩主輝澄は領内仕置きの不行届きで封地没収のうえ,一族の鳥取藩主池田光仲に預けられ,賄料1万石を給せられ,62年(寛文2)配所鹿野で没した。
執筆者:谷口 澄夫
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