河上清(読み)かわかみきよし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河上清」の意味・わかりやすい解説

河上清
かわかみきよし
(1873―1949)

新聞記者、評論家。号は翠陵。山形米沢藩士の家に生まれる。藩校に学んだのち上京、法学院、国民英学会、慶応義塾などで苦学。『萬朝報(よろずちょうほう)』に入社する。同僚幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らがおり、しだいに社会主義思想に共鳴するようになった。とくに経済学者田島錦治(きんじ)(1867―1934)の影響を強く受けたという。『労働世界』の編集に協力したほか、『中央公論』『太陽』などに多くの論文を寄稿した。1900年(明治33)社会主義協会に参加。1901年社会民主党創立にも加わった。同年7月、萬朝報社を退社し、アメリカに渡る。以後カール・キヨシの筆名で国際情勢などを評論し、アメリカやイギリスの雑誌に寄稿したほか、『時事新報』や『大阪毎日新聞』の駐米記者も務めた。

[有山輝雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河上清」の解説

河上清 かわかみ-きよし

1873-1949 明治-昭和時代のジャーナリスト
明治6年8月2日生まれ。祖父の河上姓をつぐ。明治29年万朝報(よろずちょうほう)に入社。田島錦治の影響をうけて社会主義に共鳴,34年片山潜らと社会民主党創立に参加。同党禁止後は渡米し,「時事新報」「東京日日新聞特派員として活躍。昭和24年10月12日ワシントンで死去。77歳。山形県出身。旧姓宮下。号は翠陵。著作に「米国は戦うか」など。

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世界大百科事典(旧版)内の河上清の言及

【社会民主党】より

…宣言書を掲載した《東京横浜毎日新聞》《労働世界》《万朝報》なども発禁となった。発起人は,安部磯雄,片山潜,河上清,木下尚江,幸徳秋水,西川光二郎の6人で,幸徳を除きすべてキリスト者である。結党の背景には,労働組合期成会(1897結成)を中心とした労働組合運動が1900年治安警察法制定により衰退,期成会中心メンバーの一人の片山らが政治運動によって局面を打開しようとしたことがある。…

※「河上清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」