[ 二 ]については、戦国時代三浦氏一族が全滅した時、血膏が湾内に満ちたからという伝説もある。
神奈川県三浦半島の南西部、三浦市小網代(こあじろ)の一地区。京浜急行電鉄三崎口駅、JR横須賀線横須賀駅などからバスが通ずる。油壺湾の深い湾入は、北の小網代湾とともにリアス海岸の好例で、湾内は風がなく、油を入れた壺のようであるのが地名のおこりといわれる。三浦半島観光の中心地の一つとなっている。東京大学臨海実験所は1897年(明治30)三崎から移されたもので、ミキモトパールで内外に知られる御木本幸吉(みきもとこうきち)の真珠養殖もここで完成した。実験所の一部は、戦国時代三浦氏の最後の地となった新井(あらい)城の本丸跡である。1516年(永正13)北条早雲(そううん)の大軍が攻め寄せ、3年間にわたった攻防戦や、落城時の悲話は有名。胴網(どうあみ)の浜は、春はワカメ採り、夏はキャンプ場としてにぎわう。また、国土地理院の油壺験潮場があり、油壺湾内は首都圏内の大規模ヨットハーバーの一つ。
[浅香幸雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報