渡守大明神は、猿田彦神、船魂命を祭神とし、もと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
広島県福山市鞆(とも)町に鎮座。大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀(まつ)る。社伝によると、仲哀(ちゅうあい)天皇の2年に、神功(じんぐう)皇后が西国へ下向、瀬戸内海を西航したとき、吉備(きび)国南の海辺に停泊して奇瑞(きずい)あり、海中より浮かび出た神石を神璽(しんじ)として斎場を設け、大綿津見神を祀って海上安全を祈念したのが始まりという。沼名前とは泥沼の地に入り江が深く屈曲して隈(くま)をなした地をいい、ここに鎮座した神を社名としたものといえる。『延喜式(えんぎしき)』の小社で、鞆祇園社(とものぎおんしゃ)とよばれ、『備後国風土記(びんごのくにふどき)』の疫隈(えのくま)の社にあてられている。1599年(慶長4)火災にかかり社殿が移転され、のち鞆浦の祇園社の境内に祀られた。1871年(明治4)国幣小社に列せられ、76年当地に祀られていた祇園社の主祭神に渡守明神(わたすみょうじん)が祀られ、祇園社の祭神は相殿(あいどの)の神となって、現在の沼名前神社が成立した。特殊神事として、旧暦6月7日に近い土曜日に御手火(おてび)祭、旧暦1月7日に近い日曜日に御弓(おゆみ)祭が行われる。また、能舞台はもと山城(やましろ)(京都府)伏見(ふしみ)城にあったもので、国の重要文化財に指定されている。
[加藤隆久]
広島県福山市鞆町後地に鎮座。大綿津見命を主神とし,素佐之男命を配祀する。社伝では神功皇后が西征の途次,この浦に寄り,海中より霊石を得てそれを神璽とし,斎庭(ゆにわ)に神籬(ひもろき)をたてて神璽をかけてまつり,海路安全を祈願,のち浦人に神社をたてそれをまつれといったことに始まるという。延喜の制で小社。本社はもと渡之辻にあり,渡守(わたす)神社とも呼ばれたが,1599年(慶長4)火災ののち,後地の麻之谷に遷座,さらにそれまでに祇園社の存した現社地内に遷座し,明治維新後,国幣小社に列し,その祇園社本殿に主神として奉斎された。一般に鞆(とも)の祇園さんと呼ばれるのはそのためである。例祭5月2日。本殿背後の霊泉は有名。
執筆者:鎌田 純一
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