日本歴史地名大系 「法禅寺跡」の解説 法禅寺跡ほうぜんじあと 高知県:安芸郡安田町東島村法禅寺跡[現在地名]安田町東島集落南東の丘陵上に薬師堂を残し、付近に法禅寺谷・大別当(だいべつとう)などの小字が残る。真言宗金剛頂(こんごうちよう)寺(現室戸市)の末寺で、近海山清流院と号した。本尊は薬師・釈迦・大日の三如来。「南路志」に記される金剛頂寺の伝えによると、大同二年(八〇七)空海が金剛頂寺建立の用材を馬路(うまじ)山(現馬路村)に求め、安田川を下って東島(ひがしじま)に着いた時、一木から三体の薬師如来を刻み、その一体を安置した堂がのちの法禅寺で、他の二体は馬路村金林(こんりん)寺と別所の北(べつしよのきた)寺の本尊となったと伝える。 法禅寺跡ほうぜんじあと 東京都:江東区旧深川区地区深川霊巌町法禅寺跡[現在地名]江東区三好三丁目雲光(うんこう)院の東、江戸時代の元加賀(もとかが)町の西にあった浄土宗寺院。昭和二〇年(一九四五)戦災で焼失し神田の金沢(かなざわ)町(現千代田区)に移転して神田寺となる。日照山専求院と号し、本尊は阿弥陀如来。至徳元年(一三八四)宇田川和泉守を開基として品川宿に起立。開山は言誉定宝(明徳元年没)。中興開山は英誉雲碩(慶長七年没)、俗姓は伊賀守筑後、織田信長の家臣といわれ、本能寺の変後剃髪し、文禄年中(一五九二―九六)に品川宿の法禅寺の住職を勤めた。徳川家康の帰依があり、同二年上意により品川宿から道三(どうさん)河岸(現千代田区)に移転し、新しく寺を造営したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by