改訂新版 世界大百科事典 「法華経美術」の意味・わかりやすい解説
法華経美術 (ほけきょうびじゅつ)
《法華経》の全体もしくはその一部を典拠とし,経意ないしは経中に説かれた譬喩(ひゆ)説話や奇跡の情景を絵画,彫塑などに表現したもの。さらに《法華経》中の説話を意匠の拠り所とした工芸品や,書跡としての《法華経》そのものに種々な装飾を施したり,書写に工夫を加えた装飾経などを含む。《法華経》には,竺法護(じくほうご)訳《正法華経》,クマーラジーバ(鳩摩羅什)訳《妙法蓮華経》,闍那崛多(じやなくつた)・達摩笈多(たつまぎゆうた)共訳《添品(てんぽん)妙法蓮華経》などが伝存するが,最も広く流布したのはクマーラジーバ訳であり,中国,日本ではこれが法華経美術の典拠となった。さらに広義の《法華経》には,開経の〈無量義経〉と結経の〈観普賢経〉を含む場合がある。《法華経》8巻(まれに7巻本もある)28品には霊鷲山(りようじゆせん)での釈迦の説法をはじめ,種々な奇跡の出現や,そこで説かれた数多くの譬喩説話など複雑な内容をもっており,これら28品すべてにわたって表現したものとしては,大規模な法華経変相がある。唐代に成立して流行した種々な経変の中でも法華経変は重要な位置を占めているが,敦煌には隋唐宋間の多くの作例がある。日本では,平安時代に天台教学に基づいた《法華経》信仰の高まりの中で,法華経変相(法華経曼荼羅)が堂塔の扉や壁画に描かれたことが知られている。遺品として海住山寺本や,鎌倉時代末の富山県本法寺本や,静岡県本興寺本などがある。
一方,《法華経》の一部のみを典拠としたものの中で代表的なものとしては,序品などによる《霊鷲山釈迦説法図(釈迦霊山浄土図)》がある。飛鳥・奈良時代の作例として,法隆寺金堂壁画中の1号壁の〈釈迦浄土変〉や《法華堂根本曼荼羅(釈迦霊鷲山説法図)》(ボストン美術館)などがある。文献上にも大規模な霊山浄土変の存在を知ることができる。また中国でも敦煌において壁画,絹絵中にその作例が見いだされる。さらに見宝塔品による〈二仏併坐図〉(多宝塔図)も敦煌では北魏より隋唐にかけて数多く見いだされ,日本では長谷寺の銅板法華説相図などがある。観音普門品による観音の諸難救済図は普門品変相として,観音信仰の広がりとともにインドから中国,朝鮮,日本に数多くの作例があり,ことに敦煌には種々な形が見いだされる。女人往生を説いた普賢勧発品や観普賢経による普賢菩薩像には,平安時代後期の貴族の女性たちの法華経信仰を背景とした,すぐれた作品が多い。
また法華経中の説話を装飾意匠にとり入れた工芸品として,仏功徳蒔絵経箱(藤田美術館)や平家納経経箱(厳島神社)などがある。これらの平安時代の法華経信仰の高まりによって書写された多くの法華経は,《平家納経》や《扇面法華経》や《法華経冊子》などのように種々な綺羅を尽くし,工夫を加えて装飾された。巻頭の見返し絵は法華経の経意がミニアチュールとして描かれ,経文は金銀泥などで書写され,また料紙には金銀砂子野毛によって装飾が施された。広い意味でこれら法華経書写に伴う装飾,さらにそれを入れた経箱のデザインなども法華経美術の一環である。
→装飾経
執筆者:百橋 明穂
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