五経正義(読み)ゴキョウセイギ

デジタル大辞泉 「五経正義」の意味・読み・例文・類語

ごきょうせいぎ〔ゴキヤウセイギ〕【五経正義】

五経注釈書。180巻。孔穎達くようだつ顔師古らが唐の太宗の命により編定。653年成立王弼おうひつ、漢の孔安国鄭玄ていげん、晋の杜預とよら、諸家経書解釈折衷・総合し、正統な標準解釈として、科挙の用に供した。

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精選版 日本国語大辞典 「五経正義」の意味・読み・例文・類語

ごきょうせいぎゴキャウ‥【五経正義】

  1. 中国の五経の注疏。一八〇巻。唐の太宗の時、孔穎達(くえいたつ)ら奉勅撰。初名「五経義訓」。貞観一六~永徽四年(六三八‐六五三)成立。「周易」の上下経は魏の王弼(おうひつ)の注、繋辞以下は韓康伯注、「尚書」は漢の孔安国(こうあんこく)の伝、「毛詩」は漢の鄭玄(じょうげん)の箋、「礼記」は鄭玄の注、「左伝」は晉の杜預(とよ)の注を採用した。以来、明経試(官吏登用試験)の基準とされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五経正義」の意味・わかりやすい解説

五経正義
ごきょうせいぎ

中国、唐(とう)の孔穎達(くようだつ)らが勅命で制作し、653年(永徽4)に頒布した五経の正統公認の解釈集成である。唐の大宗(たいそう)は国家事業として国子監(こくしかん)(国立大学)で学術をおこし、経学(けいがく)における六朝(りくちょう)期の経書解釈での南北対立や多岐にわたる繁雑さを整理統一するように企て、顔師古(がんしこ)に経文の「定本(ていほん)」を考定させ(630)、ついで孔穎達ら多数の学者を動員して「五経義訓」の作制を命じた(632~642)。のち「正義」(標準解釈)と改題して公布した。編纂(へんさん)にあたった学者の傾向から、南学の注釈を多く採用、『周易(しゅうえき)』では王弼(おうひつ)注、『尚書(しょうしょ)』では偽孔安国(こうあんこく)伝、『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』では杜預(どよ)の集解(しっかい)をあげ、『毛(もう)詩』(詩経)、『礼記(らいき)』では南北共通の鄭玄(じょうげん)の箋注(せんちゅう)をとった。

 さらに高宗(こうそう)のとき、賈公彦(かこうげん)が勅命で『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』の「疏(そ)」(経注の再解釈)を著し、あわせて「七経正義」とよんだ。この「正義」の成立は、科挙(かきょ)(明経(めいけい)科)を通して学術に枠をはめ、一方で詩文で試験する進士(しんじ)科の出身を尊重したため、唐代以後かえって経学の発展は、春秋学など若干を除いて停滞に陥った。ただ、漢唐訓詁(くんこ)学がいまに伝存したのは、この書が残されたことに多く負っている。

[戸川芳郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「五経正義」の意味・わかりやすい解説

五経正義 (ごきょうせいぎ)
Wǔ jīng zhèng yì

中国,唐の太宗の642年(貞観16),国子祭酒の孔穎達(くようだつ)を総裁として完成された五経の注釈書。選ばれた五経にたいする第一次の注釈として,《周易》は王弼(おうひつ)と韓康伯,《尚書》は孔安国,《毛詩》は毛公と鄭玄(じようげん),《礼記》は鄭玄,《春秋左氏伝》は杜預の注にもとづきつつ,それらの注にたいする第二次的注釈として,六朝時代に堆積したいわゆる義疏(ぎそ)(義疏学)のなかから妥当なものがとられた。〈正義〉とは標準的な義疏の意味である。高宗の653年(永徽4),一部に手を加えたうえ天下にわかち,学校のテキスト,また明経試の基準とされるにいたった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「五経正義」の解説

『五経正義』(ごきょうせいぎ)

儒教の経典である五経の注釈を集大成したもの。180巻。653年成立。唐の太宗の命で,顔師古(がんしこ)のつくった定本を基礎に,孔穎達(こうえいたつ)らの学者が編集した。科挙試験の標準となり,後世,経典解釈の基本文献となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「五経正義」の解説

五経正義
ごきょうせいぎ

儒学の経典である五経の注釈書
唐の太宗のとき,経書の解釈の統一のために,孔穎達 (くようだつ) ・顔師古 (がんしこ) らの学者を集めて編纂 (へんさん) させた。『周易正義』『毛詩正義』『尚書正義』『礼記正義』『春秋(左氏伝)正義』からなる。科挙の基準として用いられたため学説の固定化を招いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五経正義」の意味・わかりやすい解説

五経正義
ごきょうせいぎ
Wu-jing zheng-yi

中国,唐代における儒教の『経書』5種の官撰注釈書。 180巻。唐の太宗の命により孔穎達 (こうえいたつ) ら学者の手で編纂,永徽4 (653) 年天下に頒布。六朝の多様な所説を統一し,科挙受験者のために解釈の基準を示した。

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世界大百科事典(旧版)内の五経正義の言及

【孔穎達】より

…隋末に明経に挙げられ,唐の初めに,50余歳で国子博士となり,太宗の即位後に国子司業に進み,顔師古らと《隋史》《大唐儀礼》などを編纂し,638年(貞観12)国子祭酒に拝せられた。太宗の命をうけて多くの学者とともに,南北両学派の統一を目的として《五経正義》180巻を撰定した。従来,五経の解釈が多岐に分かれ章句が繁雑であったのが,これによって整理一定され,以後,科挙試験の標準とされ,今日まで経書解釈の基本文献とされる。…

【十三経注疏】より

…唐による天下統一が実現すると,経書解釈の統合整理の必要が求められ,太宗はまず顔師古に命じて五経の定本を作らせ,つぎに孔穎達(くようだつ)に命じて経書の標準的解釈を作らせ,4次にわたる更定を経て大成した。これが《五経正義》である。 以後官吏登用試験の明経科ではこれによることとされた。…

【中国哲学】より

…儒学は前代に引き続いて思想的な発展はなく,仏教の下風に立つことに甘んじた。唐の太宗は儒教の振興を図り,五経の標準的解釈である《五経正義》を作ったが,これは六朝の訓詁学の集成であり,哲学的な内容のあるものではない。知識人の多くは仏教に関心を寄せたため,仏教はここに黄金時代を迎えることになった。…

【注疏】より

…しかし,一つの経書にも数種の異なるテキストが存在し,それぞれが異なった解釈をしたため,漢代では対立と論争が繰り広げられた。唐の太宗は勅命により,640年(貞観14)それまで不統一であった《周易》《尚書》《毛詩》《礼記(らいき)》《春秋左氏伝》の五経を校定させ,それに基づいて《五経正義》を作らせた。ここに五経の解釈は定着し,注を敷衍してさらに注釈した〈正義〉が生まれたのである。…

【唐】より

…唐初の人物画の名手であった閻立本(えんりつぽん)は顧愷之(こがいし)の手法を発展させたし,初唐の三大書家といわれる虞世南欧陽詢褚遂良(ちよすいりよう)は王羲之の正統を伝えて楷書を完成させた。儒教においても,太宗が孔頴達(くようだつ)に命じて編集させた《五経正義》は,漢以来の古典解釈学を集大成したものであるが,多く南朝の学説が採用された。ただし《五経正義》によって経書の解釈が統一され,科挙の出題の基準となった結果,思想の自由が失われて,儒教の発達が阻害されたのであった。…

※「五経正義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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