改訂新版 世界大百科事典 「十三経注疏」の意味・わかりやすい解説
十三経注疏 (じゅうさんけいちゅうそ)
Shí sān jīng zhù shū
中国,儒教の基本的古典である経書の注釈を集めた叢書。416巻。《周易》《尚書》《毛詩》《礼記(らいき)》《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《左氏伝》《公羊(くよう)伝》《穀梁(こくりよう)伝》《論語》《孝経》《爾雅(じが)》《孟子》の十三経の注疏。前2世紀前漢武帝のとき,儒教が国教化されると,易・書・詩・礼・春秋の五経に博士官(五経博士)が置かれた。以来経書の研究解釈が盛んに行われ,ことに後漢から魏晋南北朝時代にかけて多くの注およびその注を詳しくした疏が作られ(注疏),経書解釈の多様化がもたらされた。唐による天下統一が実現すると,経書解釈の統合整理の必要が求められ,太宗はまず顔師古に命じて五経の定本を作らせ,つぎに孔穎達(くようだつ)に命じて経書の標準的解釈を作らせ,4次にわたる更定を経て大成した。これが《五経正義》である。
以後官吏登用試験の明経科ではこれによることとされた。このとき《春秋》の伝(解釈)として《左氏伝》が正統と公認され,〈礼〉では《礼記》が正統な経と認定された。《五経正義》は原注として,《周易》は三国魏の王弼(おうひつ)の注と晋の韓康伯の注,《尚書》は漢の孔安国の伝(偽作),《毛詩》は漢の毛亨(もうこう)の伝と漢の鄭玄(じようげん)の箋,《礼記》は鄭玄の注,《左氏伝》は晋の杜預(どよ)の注を採用した。〈正義〉すなわち疏の著者にはすべて孔穎達の名が冠せられているが,多くの学者が参与している。ついで賈公彦(かこうげん)は鄭玄の注した《周礼》と《儀礼》とに疏を付し,徐彦は漢の何休(かきゆう)が注した《公羊伝》に疏を付し,楊子勛(ようしくん)は晋の范寧(はんねい)の注した《穀梁伝》に疏を付した。すべて唐代のことである。〈伝〉はもともと経を解釈した釈義書のことであるが,春秋経と不可分の関係をもつがゆえに,経の一部として価値づけられ,また《周礼》《儀礼》を含むことによって,総体としての〈礼〉が意味づけられ,ここに解釈を通して五経の実体化がなされ,数量化されると九経という。
宋代になると,本来の経書であるか否かは問われず,経書にかかわる度合が多角的に勘案されて,経の概念が拡大され,一家の言を集めた《論語》《孝経》,諸子の一部であった《孟子》,経書を解釈するための字書である《爾雅》までが経書として価値づけられ,勅命による正義が作られるにいたった。十三経の確立である。《論語》は三国魏の何晏(かあん)の集解(しつかい),《孝経》は唐の玄宗の注,《爾雅》は晋の郭璞(かくはく)の注が用いられ,疏はいずれも宋の邢昺(けいへい)の手になるとされるが,これもまた多くの学者が協力している。《孟子》は漢の趙岐(ちようぎ)の注,宋の孫奭(そんせき)の疏とされるが,疏は後人の偽作説が有力。これらの注疏はいずれも当初は注と疏とが別行し,前者を経注本,後者を単疏本というが,宋末にはじめて合刻された。原注が多く魏晋南北朝時代の人の手になるがゆえに,古注といい,宋学的経書解釈を新注とするのと対比されるが,注疏は経書解釈上の最も基本的注釈の位置に立っていた。
執筆者:安本 博
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