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海竜王寺 かいりゅうおうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海竜王寺
かいりゅうおうじ

奈良市にある真言律宗の寺。平城京の東北隅にあったので隅寺ともいう。奈良時代初期の創立。西金堂と経蔵は重要文化財。西金堂安置の五重小塔は,創立当時の様式を伝える重要な遺品で国宝

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デジタル大辞泉の解説

かいりゅうおう‐じ〔カイリユウワウ‐〕【海竜王寺】

奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺。開創年代は天平年間(729~749)、光明皇后の創立と伝える。もと藤原不比等邸の北東隅にあったので、隅寺(すみでら)・隅院(すみのいん)・脇寺などと称された。五重小塔は奈良時代の作で国宝。

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百科事典マイペディアの解説

海竜王寺【かいりゅうおうじ】

奈良市法華寺町にある真言律宗の寺。その位置が平城宮の北東隅に当たるので〈隅寺(すみでら)〉の名がある。光明皇后が藤原不比等の邸を改めて寺とし,731年伽藍(がらん)を完備したと伝える。

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世界大百科事典 第2版の解説

かいりゅうおうじ【海竜王寺】

奈良市にある真言律宗の寺。藤原不比等の邸宅の北東隅に建立されたため,隅院(角寺)とも称せられた。光明皇后が僧玄昉(げんぼう)の入唐求法の安全を祈り《海竜王経》を読んだのに起因すると伝えるが,海竜王寺の名は12世紀ころから,角寺と並称して用いられた。738年(天平10)3月に寺封100戸が施入され,一時光明皇后の写経場にもなった。平安時代には興福寺管領し,鎌倉時代中期には西大寺叡尊により中興された。

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大辞林 第三版の解説

かいりゅうおうじ【海竜王寺】

奈良市法華寺町にある真言律宗の寺。藤原不比等ふひとの邸(のち、その子光明皇后が法華寺とした)の北東隅に位置したことより、俗に隅院・隅寺・脇寺などとも称された。創建は平城遷都以前らしい。国宝の五重小塔が著名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海竜王寺
かいりゅうおうじ

奈良市法華寺(ほっけじ)北町にある真言律宗の寺。総国分尼寺法華寺の隣地にある。731年(天平3)光明(こうみょう)皇后御願寺で、藤原不比等(ふひと)の旧殿を改めて仏閣とし、735年入唐(にっとう)僧の玄(げんぼう)は帰朝後ここに住した。開基は玄。皇后宮の北東隅に位置するので俗に隅寺(すみでら)と称した。当時は寺内南北65間(約117メートル)、東西68間(約122メートル)の大寺であったが、しだいにさびれて現在は山門、講堂、西金堂、経蔵を残すのみとなった。西金堂に安置されている五重小塔(国宝)は、薬師寺東塔と似た様式で、古代建築の手法を知るうえに貴重な遺構である。西金堂、経蔵のほか、正応(しょうおう)3年(1290)の銘ある鍍金(ときん)舎利塔、海竜王寺の寺門勅額、十一面観音立像、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)立像(伝運慶作)、絹本着色毘沙門天(びしゃもんてん)画像などが国の重要文化財に指定されている。[野村全宏]

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世界大百科事典内の海竜王寺の言及

【光明皇后】より

…湯沐2000戸のほかに1000戸の封戸が給せられ,皇后宮職を設置,それに施薬院,悲田院を付置して飢病の徒を療養した。また仏教を厚く信仰し,興福寺に五重塔,ついで亡母三千代のために西金堂を造営,さらに皇后宮(藤原不比等の邸宅)の東北隅に隅寺(すみでら)(海竜王寺)を創立,両親の菩提を弔うため玄昉が将来した《開元釈教録》による一切経の書写を始めた。これはのち〈五月一日経〉(光明皇后願経)として完成する。…

【隅寺心経】より

…隅寺すなわち奈良市海竜王寺に伝えられた多数の般若心経のこと。民間に散佚して世に空海筆と称するが,空海とは無関係である。…

※「海竜王寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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