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海野勝珉 うんのしょうみん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海野勝珉
うんのしょうみん

[生]弘化1 (1844).5.15. 水戸
[没]1915.10.6. 東京
彫金家。本名は竹次郎,弥五郎。9歳の頃から水戸の金工萩谷勝平に師事し,次いで安達梅渓に書画を学ぶ。初め藻税軒,基平,貞月庵,旭登などと号したが,明治1(1868)年東京に移住し勝珉と改号,諸派の彫技を研究して一家をなした。特に象眼,肉彫,片切彫に長じ,金属の諸色を配した華やかな彫金の味を出した。東京美術学校教授,帝室技芸員となり明治の工芸界を指導。主要作品『蘭陵王置物』(宮内庁三の丸尚蔵館),『還城楽(げんじょうらく)図額』(東京国立博物館),『布袋片切彫手板』(東京芸術大学大学美術館)。

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デジタル大辞泉の解説

うんの‐しょうみん【海野勝珉】

[1844~1915]彫金家。茨城の生まれ。東京美術学校教授。水戸派の彫金を学び、上京後、加納夏雄師事写実の中に優雅な趣をみせた作風で、明治彫金界の主流を成した。帝室技芸員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

海野勝珉 うんの-しょうみん

1844-1915 明治時代の彫金家。
天保(てんぽう)15年5月15日生まれ。初代萩谷(はぎたに)勝平,伯父の初代海野美盛(よしもり)に彫金をまなぶ。明治10年第1回内国勧業博覧会に出品し受賞。東京美術学校(現東京芸大)の雇員となり加納夏雄に師事,27年同校教授。29年帝室技芸員。色彩感のある象眼(ぞうがん)と片切り彫りを得意とした。大正4年10月6日死去。72歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。通称は竹次郎,弥五郎別号に芳洲,東華斎など。代表作に「蘭陵王」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

うんのしょうみん【海野勝珉】

1844‐1915(弘化1‐大正4)
明治時代の金工家。幼名竹次郎または弥五郎。芳洲,藻税軒基平などと号した。水戸の生れで,9歳より萩谷勝平および伯父の初代海野美盛(びせい)に彫金を学び,絵を安達梅渓に,書を武庄次郎に学ぶ。1871年(明治4)上京。基平と名のっていたが,横谷宗珉に勝る工人になろうと志し,勝珉と改名。76年の廃刀令の公布により装剣金具の製作は断念したが《蘭陵王置物》(宮内庁)など各種の作品を展覧会に出品して,その力量を認められる。

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大辞林 第三版の解説

うんのしょうみん【海野勝珉】

1844~1915) 彫金家。水戸の生まれ。名は弥五郎。号は芳州。萩谷はぎたに勝平・海野美盛に学ぶ。片切彫かたきりぼり・金銀象眼を得意とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海野勝
うんのしょうみん
(1844―1915)

明治の金工家。水戸に生まれる。幼名を竹次郎または弥五郎と称し、水戸の装剣金工家萩谷(はぎたに)勝平および叔父初代海野美盛にその技を学び、強健な鏨(たがね)の力に優美さをもつ作風を示した。芳洲、藻税軒、貞月庵、旭東、東華斉などの別号があり、1891年(明治24)東京美術学校教授となり、翌年には帝室技芸員に任ぜられた。彫金家海野清の父。[小笠原信夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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