デジタル大辞泉 「市原野」の意味・読み・例文・類語 いちはらの【市原野】 歌舞伎舞踊。富本節。3世桜田治助作詞、名見崎徳治作曲。本名題「当稲俄姿画わせおくてにわかのすがたえ」。文久3年(1863)江戸守田座で初演。洛外市原野で源頼光・袴垂保輔はかまだれやすすけ・小蝶の前が繰り広げるだんまり。明治8年(1875)常磐津ときわずで再演。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「市原野」の意味・読み・例文・類語 いちはらの【市原野】 歌舞伎所作事のだんまり。富本。のちに常磐津に改曲。三世桜田治助作詞。名見崎徳治作曲。本名題「当稲俄姿画(わせおくてにわかのすがたえ)」の上の巻。文久三年(一八六三)江戸守田座初演。洛外市原野で袴垂保輔(はかまだれやすすけ)が平井保昌をねらって果たさなかった物語の舞踊化。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「市原野」の解説 市原野いちはらの 京都市:左京区市原村市原野[現在地名]左京区静市市原町幡枝(はたえだ)村から市原村中心部に至る鞍馬(くらま)街道沿いの細長い山間の称。櫟原野(いちはらの)とも書く。「類聚国史」(天皇遊猟)に、弘仁四年(八一三)一〇月七日嵯峨天皇が「遊猟于櫟原野、賜侍臣及山城国司衣被」とあり、平安時代は遊猟地であったことが知られる。鞍馬寺への参詣や、大原(おおはら)へいく街道として早くから利用され、「山槐記」治承三年(一一七九)五月二五日条に「巳終刻参鞍馬寺云々、於櫟原野河辺避暑」とあり、また「薩戒記」応永八年(一四〇一)閏正月一二日条にも「参詣鞍馬寺、於市原野駄餉」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「市原野」の意味・わかりやすい解説 市原野いちはらの 京都市左京区中西部の一地区。櫟原野とも書く。鞍馬(くらま)寺への参詣(さんけい)の鞍馬街道に沿い早くから開けた。叡山(えいざん)電鉄鞍馬線が通じる。『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』には、この地で盗賊鬼童丸が源頼光(らいこう)を襲って誅(ちゅう)されたという伝説が記されている。また、小野小町(おののこまち)の終焉(しゅうえん)の地と伝えられる小野寺(補陀洛(ふだらく)寺)がある。[織田武雄][参照項目] | 鞍馬寺 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「市原野」の解説 市原野(通称)いちはらの 歌舞伎・浄瑠璃の外題。元の外題当稲俄姿画初演文久3.8(江戸・守田座) 市原野いちはらの 歌舞伎・浄瑠璃の外題。初演明治12.5(東京・新富座) 出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報 Sponserd by