鎌倉時代の歌人。父は蔵人大膳大夫(くろうどだいぜんのだいぶ)時長。母は未詳。歌人の後鳥羽院(ごとばいん)女房下野(しもつけ)(信濃(しなの))は妻。後白河(ごしらかわ)皇子の承仁(しょうにん)親王に出仕、その後、1196年(建久7)12月後鳥羽院に出仕。蔵人、兵庫守(かみ)を経て但馬守(たじまのかみ)。1201年(建仁1)7月『新古今集』撰修(せんしゅう)の和歌所(どころ)の開闔(かいこう)となり編集の実務にあたる。「正治(しょうじ)2年(1200)十二月後鳥羽院第二度百首」「建仁(けんにん)元年三月十六日通親(みちちか)家影供歌合(えいくうたあわせ)」「建仁元年三月二十九日新宮撰歌合(せんかあわせ)」、「院第三度百首」を結番した「千五百番歌合」にも参加。それ以降の「元久(げんきゅう)二年(1205)六月元久詩歌合(しいかあわせ)」「建保(けんぽう)六年(1218)道助法親王(どうじょほっしんのう)家五十首」「寛喜(かんき)二年(1230)六月洞院摂政(とういんせっしょう)家百首」などに参加。『家長日記』がある。
[有吉 保]
『石田吉貞・佐津川修二著『源家長日記全註解』(1968・有精堂出版)』
(谷知子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…歌会始【藤岡 忠美】
[和歌所寄人]
和歌所の職員は寄人(よりうど),また召人(めしうど)とよばれた。《後撰集》の撰者5人は〈梨壺の五人〉として著名だが,1201年7月,後鳥羽院の院宣によって開設された和歌所には,源家長を開闔(かいこう)(書物の出納・管理等にあたる職)として,当代の有力歌人の藤原良経,源通親,藤原俊成ら14人が寄人に任命された。同年11月にはこの寄人の中から,源通具,藤原定家ら6人が《新古今集》の撰者となっている。…
※「源家長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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