干潮のとき、干潟に下り立って貝類や小魚をとって遊ぶこと。とくに潮差が大きく干潟の広く出る太平洋沿岸、瀬戸内や九州北・西岸で行われる。家族連れの行楽として、特定の日はないが、気候もよい旧暦3月ごろの大潮のときがもっとも好い時期とされている。後ろに都会を控えている東京湾や大阪湾の遠浅の浜辺は、江戸時代から多くの人々でにぎわい、都会人の春の行楽の一つに数えられている。しかしそれ以外の地では単なる行楽ではなく、古い信仰を背景にした年中行事の一つとして、旧暦3月3日には連れだって海浜に遊び、飲食をともにすべきだと考えている所が少なくない。沖縄地方では旧暦3月3日をハマウリ(浜下り)とかサニツ(三日)などといい、主として女性が馳走(ちそう)を持って浜辺に出て遊び暮らすが、その由来として、かつて蛇と契って妊娠した娘が、この日、海砂を踏んでアカマタ(斑蛇(まだらへび))の子を流産して事なきを得たという昔話「蛇聟入(へびむこいり)」系統の話を伝えている。この由来譚(たん)が流布しているので女性中心の行事のようになっているが、沖縄でも男女を問わず行う所もあり、浜辺では波頭を3回すくって手や顔を洗う例のあることなどから、野外において身の穢(けがれ)を清める禊(みそぎ)の意味をもつ行事だといえよう。奄美(あまみ)でも老若男女が浜辺に出て飲食をともにするが、この日には海の魚・貝類を鍋(なべ)に入れて食べなければ、耳が聞こえなくなるとか、一年中魚にありつけなくなるなどといって、潮干狩に出かける。やはり遊楽を越えて、どうしても海辺に下りなければならないという心意がうかがえるものである。九州地方北西の沿岸部でも、磯遊び(いそあそび)といって、重箱にいろいろな馳走を詰めて海辺に出て大掛りな共同飲食をする所が多い。山口県の瀬戸内海沿岸では「節供潮」とか「節供の磯遊び」といって、潮干狩をしたり船を用意して沖合いに出て1日を遊び暮らすが、この日を磯の口明けの日として貝や海藻類をとり始める所もあった。静岡県伊豆半島でも、明治時代には、浦々の若者が酒肴(しゅこう)を用意して船を漕(こ)ぎ出し、大瀬明神の岬の磯に出て終日遊び暮らしたというし、宮城県牡鹿(おしか)半島にも、磯祭りといって女性が浜に集まって草餅(くさもち)などを食べて遊ぶ風があったというから、旧暦3月3日に海辺に下り立って共同飲食をして1日を暮らす風は、全国の広い範囲に及んでいたことがわかる。またこの日の雛祭(ひなまつり)には貝類を供えるべきだと考えている所は多く、農山村部ではそれをタニシで代替している例の少なくないのは、浜下りのできない所にもこの風の一端が波及している例といえるであろう。浜下りだけでなく、この日には山遊びといって互いに誘い合い、近くの小高い山へ登って持参した弁当を分け合って食べ遊ぶことも全国的に行われており、これは時期的にみて都会の花見に通じる行事である。さらに何人かが連れだって川原へ出、石ころで簡単なかまどを築いて煮炊きをし、共同で食べて1日遊んでくるのを習いとしている所も各地にある。
以上のようにみてくると、旧暦3月3日は、海辺だけでなく山野や川原など、とにかく戸外に打ちそろって出かけ、共同飲食などして終日暮らさなければならない日と考えられていたことがわかる。全国的に3月3日に特定したのは、暦の影響や節供の知識に基づくのであろうが、いずれにしても、古くから、このころに家にいることを危険とする伝承が各地にあったのである。このように、今日でもなお人気のある潮干狩は、古い信仰を基底にもつ野外行事としての浜下り・磯遊びに連なるものであり、それが都会において春の遊楽として定着したものといえよう。
[田中宣一]
春の干潮のとき,潮のひいた磯や浜におりたち,貝類や小魚をとって遊ぶこと。大潮時の潮差の大きい太平洋沿岸や瀬戸内,九州北・西岸で行われ,日本海沿岸にはほとんどみられない。都会周辺では日は固定せず,出現した干潟で貝類をとる単なる個人の遊びになっているが,かつて農漁村部では旧暦3月3日に行う所が多く,その場合,貝類をとるとともに,村人がごちそうをつめた重箱持参で海辺に出て,共同飲食することに重きが置かれていた。沖合に船を漕ぎ出して遊び暮らす所もあり,また沖縄地方では浜降り(はまおり)と称して主として女性が浜におりて遊ぶが,これにはかつて蛇の子を宿した女性がこの日海砂を踏んで流産させたことにちなむとする伝承が付随しており,元来潮水で穢をはらう意味の行事だったことをうかがわせる。旧暦3月3日には磯遊びだけでなく,小高い山に登って飲食をともにして遊ぶ山遊びの風も各地にあり,この日が,家から出て外でなんらかの神祭をすべき日であったことを思わせる。潮干狩りはこのような野外行事としての磯遊びにつながる習俗だろうとされている。
執筆者:田中 宣一
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…宮廷の曲水の宴や,雛祭と結びついた雛流しも,水辺のみそぎ行事からの分化である。江戸時代,江戸や大坂では,潮干狩りがこの日の行事になっていたのも,磯遊びの一形態で,宮古群島では今も馳走を持って潮干狩りに行く。3月3日の潮干狩りの例は,南中国にもあるという。…
…同じく〈漁〉という字を〈すなどる〉と読むのは〈磯魚捕る(いそなどる)〉から転じたとされるが,まさに磯でそのような小魚を捕らえることであって,道具を使うことなく,採集行為をするものといってよい。現代でも,山陰から北陸にかけて女性が従事する冬の岩場での〈海苔(のり)つみ〉つまりイワノリ採取も,遠浅の砂浜海岸で春の大潮に家族づれでにぎわう〈潮干狩り〉もいわばこのような原初形態の漁労活動のなごりであるし,草根の毒を使って干潟や水たまりの小魚を捕らえる〈毒漁poison fishing〉も,このような採集文化の延長上にあるといってよい。この段階で,道具を使用しはじめる場合,これも最初は陸上の他の作業に使う道具をそのまま水辺に転用することが多く,たとえば《万葉集》の国栖(くず)(大和地方)人が行ったという〈火振り漁〉は,片手にかざした灯火に集まってくる川魚を,鉈(なた)の背でたたくという形で最近までそのまま踏襲された漁法であるし,スールー海(フィリピン南部)の浅い磯で腰まで浸りながら左手にかざしたカンテラの火に集まる魚を右手のボロ(山刀)で水面上からすばやく切りつける〈魚切り漁〉も,そのようなありあわせの道具を使用した初期的段階のものである。…
…これらの底生生物たちを餌とする鳥類(チドリ,シギ,サギなど)も多く訪れるため,鳥の観察には絶好の場所を提供している。また干潟は,アサリ,バカガイ,シオフキガイなどの貝を求めて,潮干狩りに利用されている。満潮時は冠水するが,このときは底生生物を餌とする多くの魚類が集まり,藻場と同じように,浅海で最も重要な幼稚魚の成育場にもなっている。…
※「潮干狩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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