出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
国文学者、国語学者。弘化(こうか)4年5月28日国学者高世(たかよ)(1817―1883)の長子として豊後(ぶんご)国(大分県)杵築(きつき)に生まれた。家学を受けたのち、長崎で蘭学(らんがく)を修め、幕末には京都で勤皇家玉松操(たままつみさお)に国学を学んだ。維新後は、神祇(じんぎ)官、文部省などに勤務し、帝国大学文科大学(現、東京大学文学部)、学習院、国学院教授を歴任した。業績には、国体について説いたもののほか、言文一致の必要を唱えた『言文一致』(1886)、新しい形式の国語辞典『ことばのはやし』(1888)(のち『日本大辞林』)などがある。また1899年(明治32)には東京帝国大学教授を辞職し、『群書索引』(1916)、『広文庫』(20冊。1916~1918)を家財をなげうって独力で完成させた。昭和3年6月23日没。
[古田東朔 2018年10月19日]
『物集高量編『物集高見全集』全5巻(1934~1935・同編纂会)』▽『物集高見・物集高量編『群書索引』全3巻(1976・名著普及会)』
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…これを口談のがわへ一致させようという考えは,維新直前,前島密の《漢字御廃止之儀》の建白に始まり,西周(あまね),和田文その他諸家の論が起こって,1880年(明治13)ころには学者の二,三の試みも現れた。これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。…
※「物集高見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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