犬挟峠(読み)いぬばさりとうげ

日本歴史地名大系 「犬挟峠」の解説

犬挟峠
いぬばさりとうげ

上長田かみながたから下蒜山しもひるぜん東麓の高原を通り、鳥取県東伯とうはく関金せきがね山口やまぐちに抜ける標高五一四メートルの県境の峠。江戸時代は伯耆往来(犬挟峠越)の伯耆・美作国境の峠で、陰陽連絡の東の幹線。犬狭とも記す。蒜山地方では「院走り」が本来の名称であり、後醍醐天皇が北条方に追われて峠越えをしたことによるといわれている。享保一七年(一七三二)上長田村伊兵衛を願主に六二名が合同出資して、雪中の旅人の遭難を救うため峠の茶屋(畝の茶屋)建設を計画した時の史料も「ゐんはさりちや屋奉加帳」(美甘文書)となっており、「いんはさり」「いんばさり」が蒜山地方で広く通用していた呼称であったことが知られる。

犬挟峠
いぬばさりとうげ

山口やまぐちから下蒜しもひる山東麓を通り、岡山県八束やつか上長田かみながたに抜ける県境の峠。江戸時代は備中往来の伯耆・美作国境の峠で、両国境の峠のうちでは最も標高が低く、陰陽連絡の幹線として多く利用された。犬狭とも記す。天文年間(一五三二―五五)京都相国しようこく寺住持の惟高妙安は「玉塵」のなかで、師瀑岩が伯耆国衆長氏に送られ「矢送ト云所ノ谷ヲスキテヤカテ作州エ入」ったと記していることから、古くから美作との往来に当峠が使用されていたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「犬挟峠」の意味・わかりやすい解説

犬挟峠
いぬばさりとうげ

岡山県真庭(まにわ)市蒜山上長田(ひるぜんかみながた)と鳥取県倉吉(くらよし)市関金町(せきがねちょう)地区との境にある峠。標高514メートル。古くから勝山と倉吉を結ぶ街道が通じ、国道313号が峠を越えていたが、急カーブ急勾配(こうばい)が多いことから、1997年(平成9)に峠の東側を通る犬挟峠道路が新たな国道313号として開通した。蒜山盆地への北からの入口になっている。

[由比浜省吾]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android