猿田村(読み)やえんだむら

日本歴史地名大系 「猿田村」の解説

猿田村
やえんだむら

[現在地名]足利市猿田町さるたちよう若草町わかくさちよう

渡良瀬川北岸の低台地に位置し、北西岩井いわい村、猿田河岸がある。「さるた」村ともよぶ。渡良瀬川の氾濫によって南北に分断され(地誌取調)、対岸は簗田やなだ郡猿田村。改革組合村・旧高旧領取調帳では北猿田きたやえんだ村とある。慶長一九年(一六一四)には「猿田郷」一三〇石余が旗本天野正勝に宛行われている(記録御用所本古文書)。「足利長尾顕長家来」に当村の者として諸因幡守(永七〇貫文)の名がみえる。


猿田村
さるたむら

[現在地名]大森町猿田

横手盆地の西部山地、雄物川支流の大納だいな川上流域にある村。「六郡郡邑記」に「昔 猿の開き候田地在之由にて村名とす、中村とも云」とある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に新田として二二七石とあるが、享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)では新田村ではないと断っているから、正保以前からの村であった。枝郷六盃ろくはい村の山王堂にある正中(一三二四―二六)年号を刻んだ板碑菅江真澄が写し取っている(雪の出羽路)

宝永二年(一七〇五)の高三七六石余のうち一八三石余が新田(「平鹿郡村々御黒印高帳」秋田県庁蔵)


猿田村
さるだむら

[現在地名]銚子市猿田町

中島なかじま村の西方に位置し、高田たかだ川が流れる。天正一八年(一五九〇)松平伊昌領となり、年未詳の松平氏領書上(宮内家文書)では猿田村三〇石余となっている。天正一九年九月一日の海上郡三崎庄猿田之村検地帳(猿田神社文書)は四冊が残る(県指定文化財)。同年一一月猿田郷内の三〇石が猿田さるた神社領とされた(「徳川家康寄進状」同文書)。文禄二年(一五九三)一一月の検地(同文書)では田八町二反余・畑一町二反余で、表題に海上うなかみ之庄猿田之郷とある。慶長元年(一五九六)旗本揖斐領となる(「猿田村三給由来記」同文書)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一三一石余で幕府領・揖斐領・猿田権現領。


猿田村
さるたむら

[現在地名]鹿島町猿田さんだ

鹿島台地の中央部に位置し、北は田谷たや村、西は山野上やまのうえ村。弘安二年(一二七九)の大田文に「同宿内保立十丁九段六十歩」とみえる保立ほだては鹿島郡南条北宿に含まれ、当村の一部である。また同年一一月七日の坂戸神主占部忠常証文(鹿島神宮文書)にも「鹿嶋郡坂戸村寺畠荒野之事」として「四至北限神事道、東限保立山、南限小佐役坂、西限山上辻」と記され、保立山は当時猿田・山野上の境界と推測される。天正一九年(一五九一)東義久知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「弐百六拾八石九斗 さる田・たや」とある。


猿田村
やえんだむら

[現在地名]足利市福富町ふくとみちよう福富新町ふくとみしんまち

渡良瀬川右岸に位置し、対岸は足利郡猿田村。「さるた」村ともよぶ。渡良瀬川の流路変更によって猿田村が南北に分断されたといわれ(地誌取調)元禄郷帳には古くは「南猿田村」と注される。慶安郷帳・改革組合村・旧高旧領取調帳とも南猿田みなみやえんだ村とある。渡良瀬川沿いに、明和八年(一七七一)に開設された南猿田河岸がある。慶安郷帳では旗本天野領、元禄郷帳では旗本曾我領、延享二年(一七四五)旗本竹本領となり、幕末に至る。


猿田村
さるだむら

[現在地名]岩瀬町猿田

加波かば山北麓に位置し、筑輪ちくわ川が村の中央を北流する。東は木植きうえ村、西は曾根そね村。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。「郡官日省録」(武藤家文書)によると慶安三年(一六五〇)の検地で村高三三八・四七八石となり、万治三年(一六六〇)・延宝五年(一六七七)・元禄四年(一六九一)の新開検地で合せて一〇石余を打出す。「茨城郡村々様子大概」(笠間稲荷神社蔵)によれば、村には御林(四二町歩)、溜池三、堰三、村山二などがあり、文化期(一八〇四―一八)の戸数一七・人数七四、馬六。


猿田村
やえんだむら

[現在地名]日高市猿田

野々宮ののみや村の南にあり、西は楡木にれぎ村。村名は「さるた」ともよんだ(風土記稿)。田園簿では田三六石余・畑四七石余、幕府領。延享三年(一七四六)から天保三年(一八三二)まで三卿の田安領(「田安領知村高記」葛生家文書など)。幕末の改革組合取調書では幕府領。旧高旧領取調帳では岩槻藩領。


猿田村
さるたむら

[現在地名]秋田市上北手猿田かみきたてさるた

上北手丘陵の南麓、猿田川沿いに東西集落点在

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に、一八七石とあり、享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「五十三軒、村の内山王社あり」とある。家数五三軒は北手では最も大きな村であり、山王社のほかに小祠五社を数える。猿田川沿いに水田が開発され、寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳の当高は三七六石と増加する。


猿田村
さるたむら

[現在地名]朝日村猿田

三面みおもて川の支流こも川右岸の小盆地にあり、北東は薦川こもがわ村、南は布部ぬのべ村に接する。元禄郷帳に布部村枝郷として村名がみえる。天保五年(一八三四)の万留帳(小田家文書)には、元禄一二年(一六九九)の写に六九年以前薦川村百姓により布部村地内が開発された村とあると記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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