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王土思想 おうどしそう

世界大百科事典 第2版の解説

おうどしそう【王土思想】

天の下にひろがる土地はすべての命を受けた帝王の領土であり,その土地に住む人民はことごとく帝王の支配を受くべきものとする思想。王土王民思想。《詩経》の小雅に見える〈溥天之下,王土に非ざる莫く,率土之浜,王臣に非ざる莫し〉という詩句は,その例としてしばしば引かれる。中国で,小氏族の統合が進み,一王を中心とする宗族(そうぞく)的封建制が成立する時代にあらわれたこの思想は,中央集権的な国家の成立とともに,四海天下の観念と結びついて,王の一元的,排他的な支配を正当化するものとして説かれるようになった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王土思想
おうどしそう

国土全体を天皇の領土とみなす古代・中世の政治思想。その起源は『詩経小雅』の「溥天(ふてん)の下(もと)、王土に非(あら)ざるは莫(な)し」や、『孟子(もうし)萬章』の「普天(ふてん)の下、王土に非ざるは莫く、率土(そっと)の浜、王臣に非ざるは莫し」などの古代中国思想にあり、日本古代国家の成立とともにその国家的理念として導入され、律令(りつりょう)体制の基盤である公地公民制を支えるイデオロギーとなった。
 律令制が解体して中世社会への転換が進むなかで、王朝貴族政権は国家の危機にあたって、それに対処するために王土思想を宣揚した。承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱(936~941)に際し、東海・東山両道の国司に平将門(まさかど)の追討を促した940年(天慶3)の太政官符(だいじょうかんぷ)(『本朝文粋(もんずい)』)において、「抑(そもそ)も一天の下、寧(いずくん)ぞ王土に非ざらん。九州の内、誰(たれ)か公民に非ざらん」と、王土王民の理念を強調して軍功を募ったことは、その顕著な例である。
 また王土の思想は、公田を蚕食する荘園(しょうえん)の乱立に対して、その抑制に努める公家(くげ)政権の「新制」(荘園整理令)の基本理念であった。1156年(保元1)、保元(ほうげん)の乱に勝利した後白河(ごしらかわ)天皇は、その発布した「保元新制」の太政官符(『書陵部所蔵壬生(みぶ)家古文書』)の第1条において、神社仏寺院宮諸家の新立荘園の停止を命じたが、その冒頭に「九州の地は一人の有なり。王命の外、何ぞ私威を施さん」と王土思想を宣言し、それが中世王権としての天皇権力の基本理念であることを内外に表明したのである。[戸田芳実]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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