香川県中西部、仲多度(なかたど)郡にある町。金刀比羅宮(ことひらぐう)の鳥居前町として発展してきた。1890年(明治23)町制施行。1955年(昭和30)榎井(えない)村と合併。1958年象郷(ぞうごう)村の一部を編入。琴平山(象頭山(ぞうずさん))山腹に鎮座する金刀比羅宮は通称「金毘羅(こんぴら)さん」として江戸時代には全国から参詣(さんけい)人を集め、一大歓楽地の観を呈した。文学にも取り上げられ、四国各地から金毘羅詣(もう)での街道が集中し、道標や常夜灯がつけられ、いまもその繁栄がしのばれる。現在も交通の要地で、JR土讃(どさん)線、高松琴平電気鉄道琴平線、319号、377号が集中する。また、北に接する善通寺市には高松自動車道の善通寺インターチェンジがある。琴平山は神域であったので、クスなどの照葉樹林が残され、鳥獣の生息も多く、国の名勝・天然記念物に指定され、瀬戸内海国立公園に含まれている。参道入口から本宮までは800段近い石段道で、両側には古い土産物(みやげもの)店や食堂、旅館が並び、その町並み保存が望まれている。国指定重要文化財の旧金毘羅大芝居(金丸座(かなまるざ))は現存する日本最古の芝居小屋(1835年建築)といわれ、1985年より本格的な江戸歌舞伎(かぶき)の公演「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が復活、毎年全国から多数の見物客が訪れる。面積8.47平方キロメートル、人口8468(2020)。
[稲田道彦]
『『琴平町史』(1970・琴平町)』
香川県西部,仲多度郡の町。人口9967(2010)。大麻(おおさ)山の南東部,象頭(ぞうず)山の東側中腹にある金刀比羅(ことひら)宮(金毘羅大権現)の門前町として発達した。数百軒のみやげ物店や旅館が軒を並べ日本でも代表的な門前町を形成している。参道には奥社まで1368段の長い石段があり,参道入口から大門までは駕籠もある。神社は海運の神として江戸時代から全国の信者が集まり,琴平に至る諸街道沿いには今も灯籠や道しるべが数多く残っている。JR土讃線,高松琴平電鉄線が通じる。
執筆者:坂口 良昭
讃岐西部の内陸部に位置する松尾寺の金毘羅大権現は1621年(元和7)に生駒氏から247石の所領寄進を受けたが,のち48年(慶安1)に江戸幕府から金毘羅領330石を与えられて朱印地となり,ここに門前町として発展する基が築かれた。金毘羅参詣が盛んになりはじめた元禄(1688-1704)ころには門前町としての姿を整えた。1721年(享保6)の人口は2465人であった。近世後期には坂町,谷川町,札前町,内町,金山寺町,阿波町など11の町があり,この門前町へ丸亀街道,多度津街道をはじめ,高松・伊予・阿波各街道が集まっていた。また1834年(天保5)には米安売りを要求して打毀がおこっている。68年(明治1)には934戸・3441人となり,このうち町民は705戸・2372人であった。明治に入って金毘羅領は琴平村となった。
執筆者:木原 溥幸
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…香川県北西部,善通寺市と琴平町,高瀬町の境界にあたる山で,溶岩台地のなごりである。標高616m。…
…この塩飽船衆たちによって海の守護神また現世利益神としての金毘羅(こんぴら)信仰が各地へ広められた。1648年(慶安1)に江戸幕府の朱印地(330石)となった金毘羅(現,琴平町)は18世紀初めころには門前町としての姿を整え,以後庶民による信仰の高まりの中で発展していった。金毘羅へは伊予,阿波,多度津,丸亀,高松の各街道が集まっており,とくに多度津と丸亀城下は金毘羅への上陸地としてにぎわった。…
※「琴平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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