瑞光寺跡(読み)ずいこうじあと

日本歴史地名大系 「瑞光寺跡」の解説

瑞光寺跡
ずいこうじあと

[現在地名]岩国市楠町三丁目

玖珂郡志」に「護国山瑞光寺、寺領十七石、紫野竜光院末、当寺ハ御打入以前ヨリ雖之、旧記依之、何之時建立ト云コト不知、瑞光寺殿立峰建公大禅尼ト有位牌ノ裏ニ、応永十二年二月廿一日逝去ト有之」とあり、「瑞光寺殿ハ大内弘世ノ息女ニシテ弘中氏妻也ト申伝」というので、室町時代にさかのぼる古寺である。近世の初めには岩国城下横山の永興よこやまのようこう寺の末寺となっており、二間四面の茅屋のみ存し、住持も絶え絶えの状態であった。


瑞光寺跡
ずいこうじあと

[現在地名]鳥取市栗谷町

興禅こうぜん寺の南方栗谷くりたに川南側山裾にあった興禅寺末の寺。天性山と号し黄檗宗本尊観音菩薩。この地にはもと広徳こうとく寺があったが、慶安二年(一六四九)からの東照宮(現樗谿神社)勧請に際して当初宮地の予定地の一部とされ、立川たちかわの現在地に移転した。しかし栗谷は狭小であるとして宮地が大日谷おおひだにに変更されたため、跡地にはしばらく侍屋敷が建てられていた。


瑞光寺跡
ずいこうじあと

[現在地名]高山町新富

高山城跡の南、寺の上てらのうえ集落にあった。曹渓山と号し、曹洞宗。能登総持寺末寺で、本尊は観音(三国名勝図会)。開山は総持寺五院五派のうち伝法庵大徹の法嗣春岩祖東。応永九年(一四〇二)二月二八日肝付兼元が父兼氏の菩提のため建立したという。祖東は同二一年一〇月二八日没し、同二三年その葬地である当寺北西隅に塔頭が建てられ多宝院と称した(同二三年一〇月二九日「瑞光開山和尚行業之記」肝付文書など)


瑞光寺跡
ずいこうじあと

[現在地名]大分市元町

江戸時代のもと町の北入口付近にあった寺。臨済宗妙心寺派で(雉城雑誌)、開基は不肯、大友氏時の建立と伝える(豊後国志)。文亀元年(一五〇一)一二月一三日の賀来社遷宮等次第記(柞原八幡宮文書)によると御簀縁および懸緒御誂一間、同釣緒(付金物)三個を勤仕している。享禄三年(一五三〇)一一月一〇日の阿南庄松富名北方四百貫分目録(甲斐守文書)に一五貫「瑞光寺領大円寺」とみえ、文禄元年(一五九二)三月吉日の稙田庄名々貫高給人注文写(利光則之文書)に吉藤名のうちの一七貫分「すいくわう寺領」とあるのは当寺にあたるか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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