田中玄蕃(読み)たなか・げんば

朝日日本歴史人物事典 「田中玄蕃」の解説

田中玄蕃(9代)

没年:文化8.6.15(1811.8.3)
生年:元文5(1740)
江戸中期の醤油醸造家。名は通喬。下総国成田村(千葉県旭市)の西村甚右衛門の第3子として生まれ長谷家に奉公に出るが,8代玄蕃に請われて飯沼村(銚子市)田中家養子となる。田中家は飯沼村の名主を務め,また,元禄(1688~1704)ごろから醤油醸造業(商標ヒゲタ)を営む旧家であった。9代玄蕃の下,18世紀末から19世紀初頭にかけて,ヒゲタ醤油の造石数は600石から1300石前後へと倍増した。主たる販路は江戸で,ヒゲタ醤油は関西産の下り醤油を駆逐しつつ,文政期に達成される関東地廻り醤油による江戸市場掌握の一翼を担った。この過程で,田中家は江戸向けの有力醸造家の地位を築いたといえよう。この間,9代玄蕃は藩主から帯刀を許されている。幕末には造石高3000石,かつ「最上醤油」の称号を幕府から与えられた。<参考文献>『銚子市史』,林玲子編『醤油醸造業史の研究』

(谷本雅之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中玄蕃」の解説

田中玄蕃(10代) たなか-げんば

1778-1849 江戸時代後期の醤油(しょうゆ)醸造家。
安永7年生まれ。9代玄蕃の長男。下総(しもうさ)飯沼村(千葉県銚子市)で家業をつぐ。上野(こうずけ)(群馬県)高崎藩御用達をつとめ,苗字帯刀はもとより,右筆(ゆうひつ)次席格の特別待遇をあたえられた。百路と号して江戸の文人ともまじわり,「玄蕃日記」をのこした。嘉永(かえい)2年4月4日死去。72歳。名は貞矩(さだのり)。字(あざな)は敬夫。

田中玄蕃(初代) たなか-げんば

?-? 江戸時代前期の醤油(しょうゆ)醸造家。
下総(しもうさ)海上郡飯沼村(千葉県銚子市)の名主。摂津西宮(兵庫県)出身の酒造家真宜(さなぎ)九郎右衛門から関西の溜(たまり)醤油の製法を伝授され,元和(げんな)2年(1616)醸造を開始。江戸本船町の真宜の支店で販売,現在のヒゲタ醤油の始祖となる。石橋源右衛門と名のっていたが,承応(じょうおう)4年(1655)田中玄蕃と改名。

田中玄蕃(9代) たなか-げんば

1740-1811 江戸時代中期-後期の醤油(しょうゆ)醸造家。
元文5年生まれ。下総(しもうさ)成田村(千葉県)の西村家から同飯沼村の田中家に養嗣子としてはいる。江戸の市場を支配していた関西の薄口醤油に対抗して関東風の濃口醤油の品質向上と増産につとめ,田中家を隆盛にみちびく。苗字帯刀をゆるされた。文化8年6月15日死去。72歳。名は通喬(みちたか)。

田中玄蕃(12代) たなか-げんば

1845-1936 明治時代の実業家。
弘化(こうか)2年生まれ。家は代々千葉県銚子で醤油(しょうゆ)醸造業(商標ヒゲタ)をいとなむ。明治20年総武鉄道の設立にくわわり,30年本所-銚子間の全線を開通させた。著作に金兆子の号で「醤油沿革史」がある。昭和11年1月1日死去。92歳。名は直衛,のち謙蔵。

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