デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中玄蕃」の解説
田中玄蕃(10代) たなか-げんば
安永7年生まれ。9代玄蕃の長男。下総(しもうさ)飯沼村(千葉県銚子市)で家業をつぐ。上野(こうずけ)(群馬県)高崎藩の御用達をつとめ,苗字帯刀はもとより,右筆(ゆうひつ)次席格の特別待遇をあたえられた。百路と号して江戸の文人ともまじわり,「玄蕃日記」をのこした。嘉永(かえい)2年4月4日死去。72歳。名は貞矩(さだのり)。字(あざな)は敬夫。
田中玄蕃(初代) たなか-げんば
下総(しもうさ)海上郡飯沼村(千葉県銚子市)の名主。摂津西宮(兵庫県)出身の酒造家真宜(さなぎ)九郎右衛門から関西の溜(たまり)醤油の製法を伝授され,元和(げんな)2年(1616)醸造を開始。江戸本船町の真宜の支店で販売,現在のヒゲタ醤油の始祖となる。石橋源右衛門と名のっていたが,承応(じょうおう)4年(1655)田中玄蕃と改名。
田中玄蕃(9代) たなか-げんば
元文5年生まれ。下総(しもうさ)成田村(千葉県)の西村家から同飯沼村の田中家に養嗣子としてはいる。江戸の市場を支配していた関西の薄口醤油に対抗して関東風の濃口醤油の品質向上と増産につとめ,田中家を隆盛にみちびく。苗字帯刀をゆるされた。文化8年6月15日死去。72歳。名は通喬(みちたか)。
田中玄蕃(12代) たなか-げんば
弘化(こうか)2年生まれ。家は代々千葉県銚子で醤油(しょうゆ)醸造業(商標ヒゲタ)をいとなむ。明治20年総武鉄道の設立にくわわり,30年本所-銚子間の全線を開通させた。著作に金兆子の号で「醤油沿革史」がある。昭和11年1月1日死去。92歳。名は直衛,のち謙蔵。