町衆(読み)ちょうしゅう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

町衆(ちょうしゅう)
ちょうしゅう

「ちょうのしゅう」とも読み、町人(ちょうにん)ともいう。日本中世の都市の住民の呼称。京都では、通りのことを「まち」、両側町(りょうがわちょう)の町を「ちょう」というので、町衆は、「まちしゅう」とよぶよりも「ちょうしゅう」とよぶのが一般的である。
 鎌倉末期から南北朝期にかけて京都の商業区域では、道路を挟んで両側の店舗が結束して、両側町の自治的な「町(ちょう)」を構成した。それは戦国期には上部組織である市政機構として町組(ちょうぐみ)を結成し、上京(かみぎょう)五町組、下京(しもぎょう)五町組、禁裏(きんり)六町などを成立させた。町衆とは、この自治を高めつつある市民をさす呼称で、周辺村落の農民が「西岡衆(にしおかしゅう)」「灰方(はいかた)衆」などとよばれたのに対し、「一条室町(いちじょうむろまち)衆」「禁裏六町衆」「立売四町(たてうりよんちょう)衆」などとよばれた。たとえば、『言継卿記(ときつぐきょうき)』には「町衆手負有之」などと記されている。京都以外の都市においても、1535年(天文4)の『石山本願寺(いしやまほんがんじ)日記』には、「依通路之儀、町衆連署させらると云々」とあり、寺内町(じないちょう)の町人をも町衆とよんでいる。
 しかしながら、「町」という地縁的共同体の構成員としての資格を有するものとしての正式呼称は、「町衆」というより「町人」とよばれるほうが一般的で、これが近世の町人身分につながるものである。たとえば、1343年(興国4・康永2)の『祇園執行(ぎおんしぎょう)日記』には、三条町、七条町の定住店舗で営業する綿本座(わたほんざ)商人を「町人」とよんでいる。また、1419年(応永26)の洛中(らくちゅう)酒屋起請文(きしょうもん)(北野文書)では「町人」は「町」の世話役をさしている。すなわち、「町」構成員が輪番で世話役(月行事)を行うので、それも町人と称したわけである。町人資格は町内に家をもつことであった。町衆とは、公家(くげ)や寺社の貴族的僧侶(そうりょ)の日記に散見するもので、この町人を公家貴族などが包括的、一般的によんだ呼称である。[脇田晴子]
『林屋辰三郎著『中世文化の基調』(1955・東京大学出版会) ▽脇田晴子著『日本中世都市論』(1981・東京大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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