下剋上(読み)ゲコクジョウ

デジタル大辞泉 「下剋上」の意味・読み・例文・類語

げ‐こく‐じょう〔‐ジヤウ〕【下×剋上/下克上】

下の者が上の者に打ち勝って権力を手中にすること。南北朝時代から戦国時代、農民が領主に反抗して一揆として蜂起し、また、家臣が主家を滅ぼして守護大名戦国大名になっていった乱世の社会風潮をいう。
転じて、下位の者が上位の者に勝利すること。「挑戦者が王者相手に下克上を果たす」「零細企業新製品下克上を起こす」
[類語](2番狂わせ大物食いジャイアントキリング

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精選版 日本国語大辞典 「下剋上」の意味・読み・例文・類語

げ‐こく‐じょう‥ジャウ【下剋上・下克上】

  1. 〘 名詞 〙 ( 下が上に剋(か)つの意 ) 主に中世において、下層階級の者が、国主や主家など上層の者をしのいで、実権をにぎること。また、その風潮を、旧体制側の者が非難したことば。かこくじょう。
    1. [初出の実例]「其過計無に、剰へ下尅上のむほんの企を計思、臣の身として公に戦ひ奉大に世道を乱ど」(出典:前田本水鏡(12C後)下)
    2. 「臣君を弑し子父を殺し、力を以て争ふべき時到る故に下剋(ゲコク)上の一端にあり」(出典:太平記(14C後)二七)
    3. [その他の文献]〔三命通会‐宝義制伐四事顕朝〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下剋上」の意味・わかりやすい解説

下剋上
げこくじょう

地位の下の者が上の者をしのぎ、あるいはとってかわることを意味する語。「下克上」とも書かれる。社会の変革期には、新しい勢力の台頭に伴って下剋上の現象はつねにおこるが、とくに南北朝期から戦国期にかけて、主として支配者の側から、秩序を乱す動きとして反感と侮りを込めて用いられることが多かった。建武(けんむ)政権の混乱を風刺した「二条河原(にじょうがわら)落書」に「下克上する成出(なりで)者」と記されたり、興福寺(こうふくじ)の大乗院(だいじょういん)門跡が、応仁(おうにん)の乱(1467~77)中に自衛する大和(やまと)布留郷(ふるごう)民の動きを「下極(剋)上の基(もとい)、神威を失うべき条、以(もっ)ての外の次第なり」と嘆いたごとくである。課役に苦しむ百姓が領主に抵抗し、あるいは荘(しょう)域を越えて連合した民衆が土一揆(つちいっき)として蜂起(ほうき)する動きなどが、下剋上の運動の基盤であった。百姓のなかから地侍(じざむらい)が成長し、彼らが室町幕府と守護の支配体制に対抗して党や一揆などの新しい在地支配秩序をつくり始めると、これに押されて支配者の間での上下・新旧の勢力の交代劇が広範に引き起こされた。応仁の乱で越前(えちぜん)国守護の斯波(しば)氏が家臣の朝倉氏に領国を奪われたのに始まり、各地の守護家の実権が守護代や有力国人(こくじん)の手中に帰して、そのなかから戦国大名が生まれた。今川氏の食客から身をおこした伊勢長氏(いせながうじ)(北条早雲(ほうじょうそううん))が1491年(延徳3)伊豆国韮山(にらやま)の堀越公方(ほりこしくぼう)、続いて95年(明応4)相模(さがみ)国小田原の大森氏を滅ぼして戦国大名に急成長した例、あるいは美濃(みの)国守護土岐(とき)氏の家臣の名跡を次々に継いで出世し、ついに主家を纂奪(さんだつ)した斎藤道三(どうさん)などが下剋上の顕著な例として知られるが、支配者をもっとも恐れさせた下剋上は、守護を滅ぼして「百姓ノ持タル国」を実現した加賀(かが)国の一向(いっこう)一揆であった。

 室町幕府は、1493年管領(かんれい)細川政元(まさもと)が将軍足利義材(あしかがよしき)(義稙(よしたね))を追放して以後、細川氏の政権と化し、乱世の傾向に拍車をかけた。細川氏は16世紀中ごろに家宰の三好長慶(みよしながよし)に実権を奪われ、三好政権は家臣の松永久秀(ひさひで)に崩された。その間に戦国大名は、家臣団に組織した地侍層が下剋上の温床にならないように、農民支配と主従関係を強化した。しかし、激しい抗争に追われて早急な軍事力増強を果たさねばならなかったので、在地の古い秩序に依存することが多く、下剋上の危機にみまわれ続けた。動乱を収束した豊臣(とよとみ)政権の統一政策、とくに兵農分離の断行によって、ようやく下剋上の根が断たれた。

[村田修三]

『永原慶二著『日本の歴史10 下剋上の時代』(1965・中央公論社)』『鈴木良一著『応仁の乱』(岩波新書)』『稲垣泰彦・戸田芳実編『日本民衆の歴史2 土一揆と内乱』(1975・三省堂)』『永原慶二著『中世内乱期の社会と民衆』(1977・吉川弘文館)』『『動乱の戦国時代』(『歴史公論』17号・1977・雄山閣出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「下剋上」の意味・わかりやすい解説

下剋上 (げこくじょう)

〈下尅上〉〈下克上〉〈下刻上〉〈下極上〉とも記され,〈下位のものが上位のものにうち勝ち,現状を否定して,ほんらいの順序を逆転させる言動〉といった意味で鎌倉時代以降さかんに用いられた語。建武新政の混乱期に現れた《二条河原落書》に〈下克上スル成出者(なりでもの)〉とあるのは著名だが,《源平盛衰記》巻六に早期の用例がみえており,下っては《大乗院寺社雑事記》に山城国一揆を評して〈下極上の至りなり〉と記しているのも名高い。この語の源については,近時の研究によると中国の古典にも見つかりにくく,陰陽道(おんみようどう)の書物で,日本の陰陽寮で必読書とされた《五行大義(ごぎようたいぎ)》(隋の蕭吉の撰)の巻二,第10論〈相剋〉章に〈上,下に尅(か)つ〉とあわせて〈下,上に尅つ〉とあるのが注目され,原文(漢文)に付された返点を省略すれば〈下尅上〉となり,これが《源平盛衰記》成立以前に成語としてひろまっていたのではないかとみられている。下剋上の風潮は,鎌倉時代の最末期から戦国の争乱の終結期にかけて高潮し,武家社会における主従関係の逆転,庶民社会における領主階級への反乱となって現れ,政治・社会・文化の各面で既成の価値体系を根底から破壊したが,天下統一後は徹底的に禁圧された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下剋上」の意味・わかりやすい解説

下剋上
げこくじょう

室町時代において,社会的に身分の低い者が身分の上位の者を実力で倒す風潮をいう。応仁の乱によって将軍の権威は失墜し,その無力が暴露するに及んで,守護大名の勃興と荘園制の崩壊を招き,実力がすべてを決定する時代が現出した。その結果,将軍は管領に,守護守護代に取って代られ,農民は一揆をもって支配階級に反抗するようになった。足利将軍が管領細川氏に,細川氏が家臣三好氏に,三好氏が家臣松永氏にそれぞれ権力を奪われたことや,松永久秀が将軍足利義輝を襲って自殺させたのはその最も典型的な例であるが,この風潮も織田信長や豊臣秀吉の出現によって消滅した。

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百科事典マイペディア 「下剋上」の意味・わかりやすい解説

下剋上【げこくじょう】

下極上などとも記す。下位の者が上位の者を実力で圧倒すること。南北朝〜戦国時代に盛んに行われたので,この時代の代名詞となった。将軍足利義澄(よしずみ)が管領(かんれい)細川政元に追放され,その細川氏は家臣三好氏に,三好氏はその臣松永氏に権力を奪取されたなどはその好例。→三好長慶松永久秀
→関連項目看聞日記斎藤道三

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旺文社日本史事典 三訂版 「下剋上」の解説

下剋上
げこくじょう

南北朝〜戦国時代にかけて,実力ある下位者が上位者をしのぐ風潮をいう
公家は武家に,将軍は管領 (かんれい) に,守護は守護代にというように,実権がその下位者に奪われたことをさす。土一揆も下剋上の運動。二条河原落書に「下剋上する成出者(成上り者)」とあるが,嘉吉の乱で守護赤松満祐が将軍足利義教 (よしのり) を殺したこと,また管領細川氏は将軍に代わり,その家宰三好氏が細川氏に代わり,さらにその臣松永氏が三好氏に代わってその実権を奪ったことなどが代表例である。出身の明らかでない北条早雲や斎藤道三が風雲に乗じて実力で戦国大名になったのもこの現れといえる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下剋上」の解説

下剋上
げこくじょう

「下,上に剋(か)つ」と読み,下位の者が上位の者に実力でうち勝ち,その地位にとってかわる意。出典は陰陽寮で必読書とされた「五行大義」といわれる。鎌倉時代から「源平盛衰記」などにみられるようになり,「二条河原落書」には,建武政権に登用された成り上りの地方武士を罵る言葉として使われた。以後大名の命令を拒否する国人一揆,荘園領主に要求をつきつける荘家の一揆,自治を行う国一揆,侍身分を獲得して成り上る凡下(ぼんげ)の者などの形容に使われ,中世後期に一貫してみられる社会構造の変革の風潮を表す言葉として用いられた。

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世界大百科事典(旧版)内の下剋上の言及

【戦国時代】より

…たしかにそうした視点から見れば,戦国時代は大きな歴史的転換期であって,そこには転換期とよぶにふさわしい顕著な社会動向が特徴的に現れている。その第1は下剋上と戦国大名の登場である。下剋上の社会動向はすでに15世紀の土一揆の動きに顕著に現れていたが,戦国時代においては民衆の反権力的動きのみならず,国人領主の反守護的動き,守護の反将軍的動きなど,諸階層がそれぞれ自立ないし自治を求めて,上部権力から独立してゆくようになった。…

※「下剋上」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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