中世以後,同一水源・水系のもとで,灌漑用水の不公平な配分からくる収穫の豊凶を避け,また干ばつによる被害を最小限にくい止めるために行われた水の配分制度。水量を調節するため(1)現作している水田面積に応じて一定の時間を定めて決められた順序に従って配水する,(2)分水点に設けられた流水量測定の器具・道具(分木(ぶんぎ),分水石など)を使用する,(3)水路の幅,深さを定めて流水量を測る,(4)河川に堰(せき)を設ける場合に完全に流水を遮断せず,定められた間隙を開け,定められた深さの水流を保ちつつ一定量の水を下流に放流する,などの諸方法と,用水池の樋(ひ)を抜き放水する発議権や決定権をどの地域のどのような住民が行うかなどが番水の具体的内容であり,それらがいくつか併用されて一つの番水が運営されている。中世前期までは不文律のまま運用されていたが,中世後期になると番水規定の文章化も行われるようになった。とくに同一水源・水系による灌漑の範囲が大きく,農民自治の発展が著しいところでは番水は複雑で,文章化して相互の確認を正確にすることが必要であった。しかし,このような努力にもかかわらず水論は絶えなかった。
執筆者:三浦 圭一 番水の行われた例としては,大和興福寺領内の諸河川に,村対村の番水が行われたことが室町期から知られている。そのほか西日本の先進寡雨地域でも,戦国期ないし江戸初期ごろまでの間に,河川水に番水の始まった事例ははなはだ多い。番水の規定は一応公平なようでも,順位,対水面面積比,地下への浸透による消耗の割合などを現代的に考察すると,組ごと・村ごとの有利・不利の差はまぬがれがたい。この点に,番水制成立期における所領関係による強弱,村の水源に対する自然的な位置上のいかん(上・下流)などが,著しく働いて決められ,しかもそれが幾百年間継続してきている場合も多い。池水は人工的に得られたものであり,初めから計画的なものであるべきはずながら,池床の所属村,位置的に引水路の上流部沿いの村に有利に規定されている例があり,また池の築造,再改造の際の歴史的条件も加わって,ある特定の村に有利・不利の差が著しく大きい場合が少なくなかった。
また番水の引水権を個人に分割して〈番水株〉とし,株の所持者以外は必要期に際して,まったく番水引水にあずかりえない(いずれも江戸初期以来の慣例)ような場合もあったが,現在では耕地整理事業の実施などを期としてほとんどあとを絶っている。
執筆者:喜多村 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
灌漑用水の分配方法の一つ。灌漑用水が不足する時期や恒常的に不足する地域では,灌漑地域を分割して,時間を区切ってブロックごとに順番に給水し循環させる方法をとった。鎌倉時代以降の惣郷組織形成以後,村落を単位とする番水体系が作られ,村内では身分階層や耕地の位置に応じた番水の順番が形成される。村落間では領主の統制をうけながら,井組・用悪水組合・普請組合などの管理・維持機構によって,番水の体系が慣行として形づくられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また湛水を一定に保つ時期でも,朝夕のみ給水し日中や夜間には止水する場合も少なくない。灌漑地区を数ブロックに区分し,各ブロックの順番に必要水量を灌漑し循環させる方法を循環灌漑といい,水不足の時期や地域では番水と呼んでこの方法を用いていることもある。 1枚の水田において灌漑期間中に必要とされる水量は,蒸発散量,浸透量および栽培管理用水量である。…
…その後,この水利秩序は,同一水系内での水利紛争などを経るなかで,江戸中・末期に水利慣行として確定したといわれている。水利慣行の存在形態は,水源(河川,溜池,クリークなど)により,あるいは地域によりさまざまだが,河川での上流優先の取水・配水,古田と新田の間での古田優先,用水不足時の番水(まわし水)などは,その代表例である。番水とは,水田の区域を分けて1日おきとか,昼夜交代とか,時間で順次移行するとかの水利用の方法である。…
※「番水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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