中世武士の形成する社会組織の単位としての同族結合の体制をいう。
[羽下徳彦]
惣(総)領とは本来全所領を領有するという意味。鎌倉時代には、一族の全所領の総括者の意味と、家の継承者たる家督の意味とをあわせて、武士=領主階級の血縁集団たる一族・一門・一家の統括者を意味し、一族の他の構成員は庶子といわれた。
惣領制の規定については、大別して(1)武士=領主階級の領主制的所領支配、すなわち武士が領主として所領内の独立生産者たる名主(みょうしゅ)層から生産物を収奪するための血縁的結合の原理とみる見解と、(2)古代末期の名主層における農業経営そのものから出発するとみる説とがある。
(1)の見解では次のように説かれる。古代末期の領主階級において、惣領を中核とし一族の力を結集して所領支配を実現する体制が成立し、この一族集団が上部権力や他の武士集団と関係を結ぶ。一族内部では家産=所領の分割相続が行われ、惣領が所領の大部分を相続し一部を庶子に分与するが、惣領は全所領を統括し、外部に対しては惣領のみが一族を代表し、軍事的・経済的義務を果たす。その負担は一族内で所領の規模に応じて配分賦課される。鎌倉幕府はかかる体制を基盤とし、惣領を御家人(ごけにん)として掌握するところに成立する。幕府の御家人への賦課は、京都大番役(おおばんやく)をはじめとする軍事的奉仕も、関東御公事(かんとうみくうじ)のような経済的奉仕も、惣領に対してなされる。惣領は庶子を率いて御家人として鎌倉殿(かまくらどの)に奉仕する。
(2)では次のように説明される。平安期の名主層は家父長制大家族をなし、家長たる名主は名田(みょうでん)その他の生産手段を子弟近親に配分し、家長の強い統制のもとに農業経営を行う。この原理が発展して領主層の血縁関係を規定する。惣領は一族の所領を前惣領から継承し、子弟近親に配分し、上部からの賦課を庶子に割り当て徴納する。所領その他の生産手段は惣領が所有し、血縁関係を基軸として強力に一族を支配する。また名主の有する本名(ほんみょう)から従属者が独立して脇名(わきみょう)を形成するとき、本名と脇名の間には強い支配隷属関係が生ずるが、この関係も惣領・庶子を規制する原理となる。
(1)の見解は、惣領制を領主階級に限定するから、家産分割の可能な条件のなかでは、庶子の惣領に対する相対的な独立性を認めるが、(2)の説では、惣領の庶子に対する強い統制力を説くことになる。
[羽下徳彦]
具体的には、惣領は、〔1〕一族の祭祀(さいし)の中心となり、〔2〕次代の惣領の決定権を有し、〔3〕一族庶子の所領に対し検注・検断を行い、〔4〕代々の譲状(ゆずりじょう)などの証文を所持し、〔5〕庶子の所領売買を承認・保証し、〔6〕惣領の命に従わない庶子の所領を没収するなど、惣領は庶子に対してさまざまな規制力を有する。もっとも、その強弱については、場合により、また見解により種々の解釈がなされている。
[羽下徳彦]
惣領制の成立は平安末期と考えられ、鎌倉時代を中心に展開したが、鎌倉中期以後、所領分割に限界を生じてくると、しだいに分割相続が行われなくなり、それにつれて崩壊する。鎌倉中期からまず女子一期分(いちごぶん)、すなわち女子の所領は死後惣領に返すという形で家産の統一性保持の努力が始まるが、異国合戦(いわゆる元寇(げんこう))を一つの契機として独立できる条件のある庶子家が独立してしまうと、南北朝期から単独相続の傾向が現れる。室町時代、単独相続が確立し家督の地位が絶対化すると、庶子は家督の家臣と化し、分割相続を基礎としていた惣領制は解体する。そして武士階級の結合は、惣領制という血縁原理を越えて、地縁的結合の形成へ向かうと考えられる。
しかし近年の研究では、武士階級の結合原理は父系血縁を主とするとはかならずしもいえず、母系の血縁関係、婚姻によって結ばれる姻族関係、烏帽子(えぼし)親・子を含む養子・猶子(ゆうし)関係などさまざまな要素が複雑に関係することが強調されるようになり、従来の惣領制という概念の有効性について疑問を抱く傾向が強くなっている。
[羽下徳彦]
『中田薫著『法制史論集 二』(1938・岩波書店)』▽『石母田正著『古代末期政治史序説』(1956・未来社)』▽『永原慶二著『日本封建制成立過程の研究』(1961・岩波書店)』▽『『中世の武士団』(『豊田武著作集 六』1982・吉川弘文館)』▽『羽下徳彦著『惣領制』(1966・至文堂・日本歴史新書)』▽『大饗亮著『封建的主従制成立史の研究』(1967・創文社)』▽『鈴木国弘著『在地領主制』(1980・雄山閣出版)』
中世武士団の惣領を中心とする結合とそれに伴う社会関係を惣領制と呼ぶ。中世武士は分割相続制をとっており,財産の中核部分は諸子のうちでももっとも能力(器量)があるとみなされた男子に譲られて,これが惣領といわれた。残りの所領は惣領以外の庶子・女子に譲られ,彼らはその所領を得て独立した生活を営んだ。しかしまったく独立していたわけではなく,戦時には庶子は惣領の下に集まって戦闘集団を形成し,平時には惣領の主催する祖先の供養や家の祭祀を通じて精神的結びつきをもった。また鎌倉幕府や荘園領主から課されてくる公事は惣領から庶子に配分され,庶子は公事を惣領に納めた。幕府はこうした惣領制的結合に応じて,軍役や公事を一括して惣領あてに課したのであり,また惣領を通じて出されてくる庶子の所領安堵や恩賞の請求についても惣領を通じて交付している。惣領・庶子は相互扶助関係をつねに保つ運命共同体としての側面を強固に有していたのであり,その惣領制の上に鎌倉幕府の政治体制が築かれていたのであった。惣領制が武士団の中でこのように展開したのは,古代以来の分割相続の影響や戦闘方法による組織的特性とともに,武士団が開発領主として荒野の開発を進め所領経営を行うのに,開発の中心となる庶子に所領を譲るという相続方法が適合的であったからであろう。
惣領制の展開は,分立した庶子家の中にも惣領・庶子関係を生み出し,二重・三重と幾重もの惣領制的結合を発生させた。そして分派・分立した庶子系武士団を統合して惣領制的に編成しようとする動きと,分立から独立へと独自の惣領制を築こうとする動きとが絶えず武士団の内にあった。後者の動きは鎌倉中期以後に西国に所領を得て西遷した御家人に顕著であり,また北条氏に結びついて被官となる武士団に多くみられる。また鎌倉後期になると所領の拡大が望めず,荒野開発も停滞したことから,庶子に譲られる所領は著しく減少し,譲られても死後は惣領にもどされる一期分(いちごぶん)が多くなった。このため惣領制的結合から離脱しようとする庶子の動きは活発となり,惣領と庶子との対立は強まった。こうした惣領制の危機に対して,武士の家では家の法である置文(おきぶみ)によって,所領相続のあり方,公事の配分や徴収の方法,女子分の取扱い等を細かく定め,惣領制結合の強化を図った。南北朝時代を通じて惣領制の動揺は続いたが,南北朝の内乱が終わるころには,かつての惣領・庶子のゆるやかな結合にかわって,惣領の支配権が著しく強まり,庶子・女子を従属させる体制ができあがった。そこでは惣領が所領の大半を継承するが,それに惣領の軍事指揮権や祭祀権が付随して惣領職が譲られる形態をとることになる。もはや分割相続という相続法は形だけとなり,惣領制は新たな結合形態にとってかわられたのであった。
執筆者:五味 文彦
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中世武士団内の惣領・庶子関係を軸とした社会的関係。鎌倉幕府の御家人支配もこの制度のうえに成り立っていた。父祖によって決められた嫡子(惣領)が,戦時の軍事的指揮,父祖跡所領の公事配分,日常的な祭祀で自立的な庶子を統轄したが,基本的には共和的・相互扶助的な関係であった。惣領の庶子に対する権限行使は,父祖の強い親権によって付託されたものとみられる。世代が下るとともに庶子家のなかにも2次的な惣領・庶子関係が形成された鎌倉後期には,統合と分立をめぐって惣領・庶子間の対立が顕著になった。庶子が独立傾向を強めると,所領配分や惣領の統率権などを定めた置文(おきぶみ)が作成され,惣領制の再編が行われた。南北朝期になると,惣領の庶子統率権が強化され,相続のうえでも一期分(いちごぶん)化が一般化。やがて嫡子単独相続が行われるようになると,庶子は惣領の扶持をうけて家臣化し,惣領制は大きく変質した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…例えば常陸国南郡惣地頭や若狭国遠敷(おにゆう)・三方両郡惣地頭職の場合のように,郡内の荘郷地頭とは別に郡全体に対してなんらかの知行権を有する場合や,郡内の荘郷地頭を集中的に知行し,それらの地頭職の総称としてこれを惣地頭と呼ぶ場合があった。ただし鎌倉時代には惣領制との関連で,所領を分割相続した庶子たちの有した小地頭(こじとう)を統轄して幕府の軍役・番役を勤仕する一族の嫡子をとくに惣地頭もしくは惣領地頭と称した。惣領と庶子によって構成される血縁的結合体としての惣領制は,所領分与にさいし知行の分散を防止するところに起源を有した。…
… 平安時代から鎌倉時代には,党と称される弱小武士団が共和的団結をすることはなかった。そこで党的武士団は惣領制的武士団に対置される武士団の存在形態として把握される。すなわち党的武士団には,それを統率する惣領制的武士団の惣領に相当する者が存在せず,それぞれ割拠独立した弱小武士団として存在し,党とはこのような武士団に対する呼称であった。…
… これは直接的には,それぞれの単位を請け負い,管理している郡司,郷司,名主(みようしゆ)などの領主のあり方の差異の現れとみることができるが,より根底的にはそれを支える社会の構造の違いがこの差異を生み出したものと思われる。東国においては郡司の地位を世襲する豪族的な大領主が,惣領制的な一族関係,主従関係を支えとしつつ,郡内の諸郷を一族・家臣に分与し,惣領を中心とする大武士団が広くみられる。これに対し,西国では郷司,下司,公文,名主などの中小規模の領主たちが,国人(こくじん)として傍輩(ほうばい)の関係を結び,横に連帯した結合をする傾向が強い。…
…あるいは,他の配下にある者〉と規定しており,その関係は時代によって異なるが,両者の私的契約に基づく保護・被保護関係を本質とする。寄子に先行する同じ性格をもつものとして,奈良時代の寄口(きこう),平安時代の寄人(よりうど)があるが,鎌倉時代の惣領制において,惣領が非血縁的武士を族的な関係の中に〈寄子〉として繰り入れ,その所当公事(しよとうくじ)などを庶子と同じく割り当て,負担させていたことが知られる。おそらく,それぞれの時代に,いろいろな階層に,弱小の者が有勢者に保護を求め,擬制的血縁集団の一員であることを保証された種々の形態の寄親・寄子的関係が存在したと考えられるが,室町時代に村落の中から有力農民が武士化する傾向が強まると,これら在郷の地侍はそれぞれの地域の有力武士と主従関係を結んだり,これを寄親と頼んで,寄子となることが一般化した。…
※「惣領制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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