白河(市)(読み)しらかわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「白河(市)」の意味・わかりやすい解説

白河(市)
しらかわ

福島県中通(なかどお)り地方南部の市。阿武隈川(あぶくまがわ)の上流域を占め、那珂川(なかがわ)水系との分水界が市境かつ福島・栃木県の県境でもある。1949年(昭和24)白河町と大沼村が合併して市制施行。1954年白坂(しらさか)、小田川(こたがわ)の2村、1955年五箇(ごか)村を編入。2005年(平成17)表郷(おもてごう)、東(ひがし)、大信(たいしん)の3村を合併。白河地区には標高400メートルを超す丘陵地が広く、それを阿武隈川やその支流が開析し、ほぼ標高300~350メートルの谷底平野をつくる。古来、東北の関門といわれ、現在も東北地方へのおもな交通路線が通る。国道4号と東北自動車道は、かつて原方(はらかた)街道とよばれた那須(なす)火山麓(ろく)を通るが、白河関跡のある旗宿(はたじゅく)付近の峠はこれより数キロメートル東方にある。JR東北本線と東北新幹線は国道4号にほぼ沿っている。東北自動車道の白河インターチェンジと新幹線の新白河駅は市街地に近いが、行政的には西郷村(にしごうむら)に属する。豊地(とよち)地区には白河中央スマートインターチェンジ、大信地区には東北自動車道の矢吹(やぶき)インターチェンジ(一部は矢吹町)があり、国道289号、294号も通じている。

 中世には源頼朝(よりとも)の奥州征討に従った結城氏(ゆうきうじ)の所領で、1250年(建長2)ごろ市街地南東の搦目山(からめやま)に築城。のち市街地北部に小峰城(こみねじょう)も築いた。1627年(寛永4)丹羽長重(にわながしげ)(1571―1637)が小峰城を修復し、城下町をつくった。その後白河藩城下として藩主はたびたび交代したが江戸末期まで続いた。戊辰戦争(ぼしんせんそう)により城郭も町屋も焼失し、石垣が残るだけであったが、1991年に小峰城天守閣、1994年に前御門が復原された。奥州街道の白河宿、白坂宿が置かれ、明治になって東北本線が旧城郭と町屋の間を通り、町並みは東西に広がるようになった。県南地方の商業、行政、医療などの中心であるが、商業販売力や人口の増加は大きくない。京浜地方からの工場受入れ地としての機能が強まっている。農業は米作が中心で、野菜、果樹などの栽培も行われている。国の史跡に借宿廃寺跡(かりやどはいじあと)(白河官衙遺跡群(かんがいせきぐん))、白河関跡、小峰城跡、国の史跡・名勝に江戸中期の藩主松平定信(さだのぶ)が灌漑(かんがい)用につくった南湖公園(なんここうえん)がある。また、1996年に白河結城家文書が国の重要文化財、2005年に白河舟田・本沼遺跡群(しらかわふなだもとぬまいせきぐん)が国の史跡に指定されている。2月11日には白河だるま市、9月中旬には白河提灯(ちょうちん)まつりが行われる。2011年の東日本大震災では死者12人、住家全壊240棟・半壊1818棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。面積305.32平方キロメートル、人口5万9491(2020)。

[渡辺四郎]

『『白河市史』全3巻(1968~1971・白河市)』『『白河市史』全10巻(1989~2007・白河市)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android