白馬節会(読み)あおうまのせちえ

改訂新版 世界大百科事典 「白馬節会」の意味・わかりやすい解説

白馬節会 (あおうまのせちえ)

宮廷年中行事。天皇が正月7日に〈あおうま〉を見る儀式大伴家持が〈水鳥の鴨の羽の色の青馬を……〉と《万葉集》に詠んだように,はじめは青馬であったが,平安中期より白馬と書くようになった。しかし,その後も〈あおうま〉とよんでいる。中国において青は青陽,春をさし,馬は陽の獣であるところから,この日に青馬を見るという儀礼があり,年中邪気をさくという風習が日本に伝わり,日本の祓(はらい)の思想と結びついたもの。日本では古来より白馬を神聖なものとして用いることから白馬と変えた。ただし,馬は灰色または葦毛で,表記だけを白馬に変えたにすぎない。嵯峨天皇の811年(弘仁2)を起源とする説などがあり,はじめは豊楽院,のちには紫宸殿で行われるようになった。左右馬寮が白馬21匹を引き,天皇,群臣の前を7匹ずつ3組にして引き回してゆく。応仁の乱以後,一時行われなくなったこともあるが,明治維新に廃絶されるまで引きつづき行われた。一方,白馬神事として京都賀茂別雷神社,大阪住吉神社,茨城県鹿島神宮などでも行われた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白馬節会」の意味・わかりやすい解説

白馬節会
あおうまのせちえ

奈良時代ころから行われた年中行事。正月7日、天皇が紫宸殿(ししんでん)または豊楽殿(ぶらくでん)に出御し、左右馬寮(めりょう)から引き出された21頭の青馬(あおうま)を見る儀式。青馬とは、白または葦毛(あしげ)の馬で、この日に青馬を見れば、その年の邪気を避けられるという中国の風習に倣ったもの。もとは「青馬」と書いていたが村上(むらかみ)天皇(在位946~967)のとき「白馬」と書き改めた。ただし読みは「あおうま」のままであり、馬の色がとくに変わったのではなく、ただ、上代の色彩感が平安時代になると、白を重んじる結果である。行事の日本化のためである。平安時代には儀式も整い、初めに御弓奏(みたらしのそう)、白馬奏(あおうまのそう)があり、のちに諸臣に宴が設けられた。平安末ごろからこの行事は衰え、応仁(おうにん)の乱(1467~1477)で中絶、1492年(明応1)に再興して、明治初年まで行われた。

[山中 裕]

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百科事典マイペディア 「白馬節会」の意味・わかりやすい解説

白馬節会【あおうまのせちえ】

朝廷の年中行事の一つ。正月7日に白馬を紫宸殿の前庭にひき出し,天覧のあと,宴を開く儀式。邪気を払う効があるという中国の故事による。初め〈鴨の羽の色〉(大伴家持)つまり青色の馬であったが,のち白色が重んぜられ,白馬となったという。
→関連項目嵯峨天皇節会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白馬節会」の意味・わかりやすい解説

白馬節会
あおうまのせちえ

7日の節会ともいう。年中行事の一つ。正月7日,紫宸殿で左右馬寮の白馬を天覧ののち,群臣に宴を賜わる儀式。承和1 (834) 年に始った。中国の故事ではこの日に青馬を見ると年中の邪気を払うという。日本では白馬を神聖視したところから白馬に変った。「白馬」でも「あおうま」と読む。

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世界大百科事典(旧版)内の白馬節会の言及

【春駒】より

万歳が家の予祝,鳥追(とりおい)が農耕予祝とされたのに対し,春駒は養蚕の予祝とされる。宮廷儀式にある白馬節会(あおうまのせちえ)が民俗化したというが不詳。木製の駒の首形を手にした頰かぶり,裁付袴(たつつけばかま)の者が,三味線,太鼓を囃子に〈めでためでたや春の初めの春駒なんぞ,夢に見てさえよいと申す……〉という祝言歌を唱えて家々の門口に舞い込んだ。…

※「白馬節会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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