中国の医家。現存する最古の鍼灸(しんきゅう)医学書『鍼灸甲乙経(こうおつきょう)』12巻(または『黄帝(こうてい)三部鍼灸甲乙経』『黄帝甲乙経』。俗称『甲乙経』)を著し、鍼灸学の基礎を築いた。字(あざな)は士安、幼名を静、玄晏(げんあん)先生と号した。安定朝那(甘粛(かんしゅく)省霊台県朝那鎮)の人。新安(しんあん)の叔父のところにいたが、20歳になっても学問を好まず放蕩無頼(ほうとうぶらい)であった。叔母に訓戒されて感激し、発憤して学問に励み、貧乏であったので農事に従いながらも勉強した。広く書籍を研究し、のちに風痺(ふうひ)病となっても書物を離さず、人々は彼を「書淫(しょいん)」といったという。晋(しん)の武帝(在位265~290)から、たびたび官僚になるよう招かれたが、終生仕えなかった。著作は多く、『帝王世紀』『高士伝』『逸士伝』『烈女伝』などがある。
[山本徳子]
中国,西晋の著述家。後漢末の黄巾の乱の鎮圧に手柄があった皇甫嵩の曾孫。字は士安。号は玄晏先生。安定(甘粛省)の人。20歳ころまでは放蕩の生活にあけくれたが,発奮して〈書淫(書物の虫)〉とあだ名されるまでの読書家となり,再三の仕官のさそいをことわって著述に専念した。《帝王世紀》は,天地の開闢から人皇があらわれ魏の咸熙2年(265)にいたるまでの272代,276万745年間にわたる歴史を帝王を中心に記し,このような雄大な構成,あるいはまた緯書を多く利用するなどの点において,六朝時代の史書の一つの特色を示す。そのほか《年暦》《高士伝》《逸士伝》《列女伝》《玄晏春秋》等,多数の著述があったが,大半は失われた。また,〈寒食散〉の服用によってはげしい後遺症になやまされた彼は,みずからの体験にもとづき〈寒食散〉中毒症状を記録するとともに,ただしい服用法を世人に教えるため《寒食散方》を著した。
執筆者:吉川 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…魏の王粛一派は,後漢以来勢力をもっている鄭玄(じようげん)の学説を打ち破るべく,自派に都合のよい《孔子家語(けご)》《孔叢子(くぞうし)》などの仮託の書を偽造した。皇甫謐(こうほひつ)《帝王世紀》も,これは偽書とは呼ばぬが,王粛一派の学説によって書かれた古代史である。こうした基礎の上に,晋の梅賾によって《(偽)古文尚書》が世に出された。…
※「皇甫謐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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