改訂新版 世界大百科事典 「直仁親王」の意味・わかりやすい解説
直仁親王 (なおひとしんのう)
生没年:1704-53(宝永1-宝暦3)
直仁親王 (なおひとしんのう)
生没年:1335-98(建武2-応永5)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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花園(はなぞの)天皇の第一皇子。母は宣光門院実子。1348年(貞和4・正平3)10月光厳(こうごん)上皇の猶子(ゆうし)となり元服。同月20日北朝崇光(すこう)天皇即位とともに皇太子にたった。1351年(観応2・正平6)南朝と足利尊氏(あしかがたかうじ)との和睦(わぼく)の際、天皇とともに廃された。南朝軍の京都進入で光厳、光明(こうみょう)、崇光三上皇とともに山城八幡(やましろやわた)(京都府八幡市)に移され、のち大和賀名生(やまとあのう)(奈良県吉野郡)に幽閉された。1357年(延文2・正平12)に帰京し、出家して花園上皇の御所であった萩原殿(はぎわらどの)に住した。
[佐々木久彦]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…東山天皇の皇子直仁(なおひと)親王を初代とする宮家。時に幕府は新井白石の建言を入れて,皇室の繁栄のため新宮家の創立をはかり,家領1000石を献じたので,1710年(宝永7)親王に一家創立の勅命があり,ついで閑院の宮号を賜った。…
※「直仁親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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