ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
知覚の現象学
ちかくのげんしょうがく
Phénoménologie de la perception
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
フランスの哲学者モーリス・メルロ・ポンティの初期の最重要著作。フッサール現象学の諸成果を踏まえ、またそれを独創的に解釈し直しつつ、主として「身体」の問題に定位しながら、西欧の伝統的な二元論的発想――精神/身体、主観/客観、観念論/実在論など――を克服しようとした。知覚についての伝統的な二つの考え方――主知主義と経験主義――が退けられたのちに「現象野」のうちに現れてくる「世界=内=存在」としての身体は、単なる物質的、物理的な客体なのではなく、まさしく人間と世界、主体と客体とが戯れ合う「両義性」の場である。身体の両義性を強調することによって、デカルト以来の対自(精神)と即自(身体・物体)との二元論的把握を転覆しようとの戦略である。
[足立和浩]
『竹内芳郎他訳『知覚の現象学』全二巻(1967、74・みすず書房)』▽『中島盛夫訳『知覚の現象学』(1982・法政大学出版局)』
…現代の哲学的状況を見ても,これまで心の哲学の主流を形成してきたデカルト的二元論や超越論的観念論に対して,大勢としては批判的である。これら古典的学説の基礎仮定に対する批判の作業が重要な哲学的認識の確立につながった例として,まず挙げるべきはメルロー・ポンティの《知覚の現象学》(1945)であろう。これは超越論的哲学も経験主義哲学もひとしく閑却した身体の意義を,現象学的考察の対象として初めて主題化した労作である。…
…第2次大戦直後の実存主義と1960年代にはじまる構造主義とをつなぐ重要な役割を果たした。1930年代にベルグソン哲学やフッサールの現象学の影響下にその思想を形成し,《行動の構造》(1942)と《知覚の現象学》(1945)によって学位を取得,45年リヨン大学講師,48年同教授,49年パリ大学文学部(ソルボンヌ)に招かれて心理学と教育学を担当,52年当時としては異例の若さでコレージュ・ド・フランス教授に就任した。この間,一方では,第2次大戦終結直後の1945年にサルトルとともに雑誌《レ・タン・モデルヌ(現代)》を創刊し,以後これを舞台に実存主義の運動を華麗に展開したが,52年に同誌の政治的主張をめぐってサルトルと決裂し同誌を去る。…
※「知覚の現象学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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