出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北海道の中央部にある東西20km,南北30kmの盆地。東の大雪・十勝火山,西の天塩・夕張山地に挟まれた,中央低地帯と呼ばれる南北に連なる盆地列の中央部を占め,北は低い安山岩山地で名寄盆地と,南は溶結凝灰岩の丘陵地で富良野盆地と境される。盆地床の標高は100~200mで,主として扇状地性砂礫質(されきしつ)の沖積堆積物からなり,北西部の近文台,南西部の神楽台は,沖積面との比高20~40m,いずれも十勝溶結凝灰岩を基盤とし厚さ5~10mの段丘堆積物をのせている。また盆地の南部山麓には高度250~600mの緩斜面台地があり,十勝溶結凝灰岩からなる。石狩川本流が北東から南西に流れ,盆地の西縁部で牛朱別川,忠別川,美瑛川などを合わせる。気候は内陸的で旭川における月平均気温は1月-8.5℃,8月20.4℃で,最寒月と最暖月の差は約29℃に達する。低温の記録は1902年1月25日観測された-41.0℃である。
1891年永山,翌年東旭川,翌々年当麻に設置された屯田兵村は合計約1200戸が入植し,開拓の先駆を担い,行政・商業の中心地として旭川市街が計画都市として配置された。兵村は盆地中心部に配されたが,一般農用地貸下げも92年に始まり,98年の鉄道(函館本線)開通により,優良な農業地と目された盆地の主要部は数年のうちにほとんど払い下げられ,小作大農場も群立し,忠別川と美瑛川の間の地は帝室御料地に編入された。夏季の高温と用水の便に恵まれた盆地床は大規模造田が早期に定着し,1900年代に入ると技術的にも道内の先進地となり,農民による新品種の試作,直播器の考案などが行われ,10年には中央部は水稲単作地化し,第1次世界大戦後の畑作物不況期を経て盆地床の全面的な水田化が進んだ。71年以降の水稲生産調整により作付けは水田面積の7割以下に減ったが,現在1戸当り3ha前後の水田保有農家が多く,道内の高反収地帯であるだけでなく,豊作年には全国的にみても高水準を示す。野菜生産は道内の主要生産地で,トマトなど果菜生産に比重があり,共同経営大型育苗ハウスなどの施設が各所に見られる。工業は旭川市への集中が顕著であるが,木材・木製品および家具工業は各地に点在する。
執筆者:岡本 次郎
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北海道の中央部にある大きな盆地。東に大雪(たいせつ)火山群、西に天塩(てしお)・夕張(ゆうばり)両山地があり、北は低い山地によって名寄(なよろ)盆地と、南は溶結凝灰岩の丘陵によって富良野(ふらの)盆地と境される。盆地床西部に旭川市(あさひかわし)があり、市街地西部で盆地を流れる石狩川などの主要河川が合流。気候は内陸的で、旭川の1月の平均気温は零下8.5℃、8月は20.9℃でその差は29℃以上である。
盆地床は沖積堆積物(たいせきぶつ)からなる部分が多く、農耕地としても優れ、1891年(明治24)以降、永山(ながやま)・東旭川(旭川市)、当麻(とうま)に屯田兵村(とんでんへいむら)が置かれて開拓の基礎となった。1898年の鉄道開通後土地払下げが進み、稲作も早期に定着して、1920年代には盆地床は水稲単作地帯となった。水稲の収量水準は高いが、近年減反政策により畑作との複合経営への移行がみられる。道内の野菜生産地の一つで果菜が重要。工業は旭川に集中するが、木材や木製品工業などは各地で行われる。
[岡本次郎]
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