ソ連の東洋学者。1914年ペテルブルグ大学を卒業、翌1915年日本へ留学したが、ロシア革命のために日本にとどまり、小樽(おたる)高等商業学校、大阪外国語学校で教鞭(きょうべん)をとりながら、日本民俗学、アイヌ語、宮古島方言、ツォウ族(台湾)の言語、西夏(せいか)(タングート)語などを研究した。この間、柳田国男(やなぎたくにお)、折口信夫(おりくちしのぶ)、石浜純太郎(1888―1968)らと親交を結んだ。1929年(昭和4)秋ソ連に帰り、レニングラード大学教授となり、在日中結婚した日本女性萬谷イソ(よろずやいそ)(1901―1937)を迎えて、西夏語研究その他に前人未踏の境地を開いた。しかし1937年秋「粛清」によって逮捕され、銃殺された。1957年に名誉回復。遺稿集『西夏言語学』(1960)によって1962年レーニン賞を贈られた。
[加藤九祚 2018年7月20日]
『N・ネフスキー著、岡正雄編・加藤九祚解説『月と不死』(平凡社・東洋文庫)』▽『加藤九祚著『天の蛇』(1976・河出書房新社)』
ロシアの日本学者,西夏学者。ヤロスラブリに生まれ,ペテルブルグ大学東洋学部卒業後,1915年日本に留学して柳田国男,折口信夫らと親交をむすぶ。ロシア革命が起きたため帰国を延期し,小樽高商,ついで大阪外国語学校にロシア語教師として勤務するかたわら,日本各地を調査旅行し,東北のおしら信仰,アイヌのフォークロア・口承文芸,沖縄宮古島のフォークロアなどに関する論文を《民族》その他の雑誌に発表した。22年,北海道出身の万谷イソと結婚して娘エレーナをもうけた。29年に単身帰国してレニングラード大学の日本学科に教授として迎えられ,日本文化研究とともに,日本滞在中も継続していた西夏語研究を精力的に行った。妻と娘も33年にはソ連に渡ったが,37年に夫妻が逮捕され,45年に没した。死亡地は不明である。57年に名誉回復され,《西夏文献学》(1960)をはじめとする業績に対して62年,レーニン賞を授与された。
執筆者:中村 喜和
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…他方,言語学者のポリワーノフEvgenii Dmitrievich Polivanov(1891‐1938)は日本語の系統論と方言研究で世界的に知られた。同様に東洋語学者N.A.ネフスキーはアイヌ語,琉球語の研究に従事した。東大国文科に学んだS.G.エリセーエフは,一時ペトログラード大学の教壇に立ったが,革命後亡命し,フランスとアメリカ合衆国で多数の日本研究者を育てた。…
※「ネフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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