東京都西部の市。1970年市制。人口5万9796(2010)。多摩川東岸の武蔵野台地上に位置し,東は立川市と武蔵村山市,南は昭島市,西はあきる野市に接する。中世に成立した多摩十六郷の一つ福生郷の地で,江戸時代は尾張徳川家の御鷹場となった。畑作と養蚕を営む農村であったが,1894年に青梅(おうめ)の石灰石輸送のために建設された青梅鉄道(現,JR青梅線)に福生駅が,1931年には五日市鉄道(現,JR五日市線)熊川駅,八高線東福生駅も開設されて,立川市や東京方面との交通が容易になり,駅を中心に市街地が生まれ近郊都市的性格がしだいに強まった。40年北東部に陸軍の多摩飛行場が建設されて以後,福生駅を中心に軍関係者が多く居住するようになった。第2次大戦後,アメリカ軍は飛行場を接収して拡張し,横田基地とした。福生は基地の町となったが,62年首都圏整備計画に基づく市街地開発区域に指定され,以来住宅地化が急速に進んだ。また自動車,電気機器などの大工場も進出した。市域を南北に国道16号線が通じる。
執筆者:井内 昇
福生市北東部を占め,瑞穂(みずほ)町南部,武蔵村山市南西端,羽村市東端にまたがる基地で,面積717.5ha。3350mの滑走路を有する。関東地方のアメリカ軍施設が整理・統合されて,1973年在日アメリカ軍指令部,第5空軍司令部が置かれ,アメリカ軍の極東戦略の要として強化された。付近住民にとってジェット機による騒音などの基地公害は深刻な社会問題であり,解決が迫られている。横田の名は武蔵村山市中部の大字中藤(なかとう)にある地区の通称名による。
執筆者:大沢 正敏
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東京都西部、多摩川の左岸にある市。1970年(昭和45)市制施行。地名の由来は明らかでないが、古寺の福生山清岩(せいがん)院(福生)、玉応山福生院(熊川)の名とかかわりがあるという。多摩川沿岸の低地を除く大部分が武蔵野(むさしの)台地で、多摩川に向かって三段の段丘面がある。JR八高(はちこう)線、青梅(おうめ)線が通り、拝島駅(はいじまえき)から五日市(いつかいち)線が分岐、西武拝島線が通じる。また国道16号が南北に通る。1653年(承応2)玉川上水が開削され、台地は養蚕を中心とし、低地は水田に従う農村であった。1940年(昭和15)台地に陸軍が飛行場を開設、第二次世界大戦後はアメリカ軍横田基地となり、基地の町として発展した。さらに1960年代、東京の住宅地として人口が急増した。横田基地に併行する国道16号沿いに異国風の商店街があり、福生駅付近に大型店が立地する。牛浜駅の西方、玉川上水と多摩川の間にある石浜の渡し跡は、1352年(正平7・文和1)新田義貞(にったよしさだ)が足利尊氏(あしかがたかうじ)を破った戦場跡とする説がある。南端の睦(むつみ)橋近くに江戸時代の名主家の酒醸造元がある。面積10.16平方キロメートル、人口5万6414(2020)。
[沢田 清]
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