租税理論(読み)そぜいりろん

改訂新版 世界大百科事典 「租税理論」の意味・わかりやすい解説

租税理論 (そぜいりろん)

租税理論は,実証的(ポジティブ)な領域と規範的(ノーマティブ)な領域の二つの部分によって構成されている。前者は,市場機構を通して,税制の変更が民間部門の経済主体の意思決定や社会全体の経済変量に対してどのような影響をもたらすかを分析するものである。これに対して後者は,租税体系がいかなる要件を備えたときに経済社会全体にとって最も望ましい状態が達成できるかを解明しようとするものである。

 租税理論のポジティブな領域はさらに二つの分野に大別される。一つは〈租税誘因(タックス・インセンティブtax incentives)〉の問題であり,これは個別的な経済主体の行動に対して税制の変更がいかなる影響をもたらすかを分析する。もう一つは〈租税帰着tax incidence〉の問題であり,税制の変更がその社会を構成する経済主体にいかなる利害得失をもたらすかを,分配上の見地から分析しようとするものである。

 租税理論のノーマティブな領域も二つの分野に大別される。一つは〈最善(ファースト・ベスト)〉の意味での最適課税理論である。これは政府が任意の租税手段を用いて課税しうる状況にある場合,いかなる種類の租税手段を用いてどのように課税すれば経済社会にとって最も望ましい状態が実現できるかを分析する。もう一つは〈次善(セカンド・ベスト)〉の意味での最適課税理論である。これは政府がある特定の租税手段でしか課税できない状況にある場合,そのような制約された範囲の中で,どのように課税すれば経済社会にとって最も望ましい状態が実現できるかを分析するものである。

 以下では上述の四つの分野をそれぞれ簡単に説明する。

家計および企業は税制のあり方によってさまざまな影響をうける。たとえば,所得税の態様は家計の労働供給に対して大きな影響を与え,また消費課税か貯蓄課税かは消費と貯蓄の選択を大きく左右する可能性をもつ。さらに,法人税制のあり方は企業の設備投資,雇用調整あるいは財務戦略に密接に関係している。租税誘因理論は,家計あるいは企業の行動様式のなかに税制を明示的に組み込み,その税制の変更が家計あるいは企業の意思決定にいかに作用するかを分析の対象としている。この租税誘因の理論が最近注目を集めている理由は,先進諸国における福祉社会化の進展につれて租税・社会保険料負担が国民経済での大きな地位を占めるにいたり,国民経済の細部にまで影響を及ぼす事実を反映したものである。アメリカを中心にして近年台頭しているサプライ・サイド経済学は,この租税の誘因効果をきわめて重要視し,経済社会の再活性化のために減税政策を積極的に利用すべきであると主張している。その代表的な提案としては,所得税減税による労働供給の増大,消費課税強化による貯蓄刺激策,法人税減税および投資税額控除の導入による投資誘発策,等があげられる。

家計間の所得・資産分配あるいは家計と企業間の労働・資本分配率は税制の態様の違いによって大きく左右される。税制変更の影響が課税された納税義務者にのみ限定されるならば,租税帰着理論は必要でない。しかし,たとえば企業に課される物品税がその製品価格に上乗せされるように,税負担の一部は家計に〈転嫁shifting〉される可能性をもっている。この転嫁の可能性があるかぎり,企業と家計の間での税負担の実態を理論的に明らかにし,その分配上の帰結を検討する必要がある。租税帰着理論は,税制の変更による企業・家計の反応および市場の調整過程をトレースすることを通して,経済主体間の最終的な利害得失を分析することを目的としている。

 租税帰着の問題で注意すべきなのは,どのような経済環境を前提にするかによって,分配の効果が著しく異なる点である。企業が市場で価格支配力をもつのか否か,生産要素(資本や労働)が企業間や地域間を移動可能か否か,短期的効果かそれとも長期的効果か,完全雇用か不完全雇用の状態であるのか,等の条件により租税の帰着効果は正反対の結論が得られることもある。租税の帰着は,現実の経済環境を注意深く観察しながら,その意味を正しく評価しなければならない。

最善の意味での最適課税の問題は,政策手段として選択される租税になんらの制約が置かれない状態を前提にして,市場の機能と限界との対比において位置づけられる。すなわち,市場が分配の公正資源配分の効率性等の国民経済にとって,どの程度の機能を発揮し,いかなる意味での限界を有するかを明らかにしたうえで,それを克服するためにどのような手段と方法によって課税すべきかを検討するものである。公正な分配との関係における最適課税の問題は,学説史的にはJ.S.ミル,F.Y.エッジワース,A.C.ピグーらによって代表される〈能力説〉にその萌芽を見いだしうる。この能力説は,等しい能力をもつ人々は等しく支払うべきであるという〈水平的公平〉と,大きい能力をもつ人々が多く支払うべきであるという〈垂直的公平〉の達成を要求している。効率的な資源配分との関係における最適課税の問題はE.バローネ,J.G.K.ウィクセル,リンダールErik Robert Lindahl(1891-1960)らの〈利益説〉の論者によって取り上げられた。この利益説は,政府支出の費用を調達する場合,政府支出から受ける人々の利益に応じて個別的に課税すべきであると主張している。効率的な資源配分との関連では,その他にも租税政策の介入の余地が存在する。〈規模の経済性〉〈外部性〉〈将来財〉等の現象は市場が効率的な資源配分状態を実現するための阻害要因であるが,これらを克服して効率的な資源配分を再現するための租税政策の役割が分析される。

現実の経済社会で用いられる所得税,法人税あるいは物品税等の租税手段は,最善の意味における最適課税理論の分析の対象にはならない。これらの租税手段がそれ自体で効率的な資源配分の達成を阻害する要因であることがその理由である。この点をふまえて,次善の意味での最適課税理論においては,租税手段のタイプ,税構造あるいは税額等が制約された状態を前提にして最適課税の問題が考察される。たとえば,ある一定の税額を所得税で徴収する場合,課税最低限と累進税構造をどのように決定すれば最も望ましい経済社会の状態が実現できるかが分析される。また,物品税で一定の税額を徴収する場合,品目ごとにどのような税率を適用するのが最も望ましいかが考察の対象とされる。次善の意味における最適課税理論の特徴は,経済社会の目標である分配の公平と資源配分の効率性との間にきわめて深刻な対立関係が存在することを教える点である。所得税を例にとれば,課税最低限と累進度の引上げを行うほど分配の公正に役立つが,一方では,勤労意欲と生産性の低下をもたらして資源配分の効率性を阻害する。このように,所得税構造の決定はパイの分配とパイの大きさの双方の問題に密接に関連し,両者のトレードオフの関係を慎重に考慮しなければならない。物品税においても奢侈(しやし)品と必需品にそれぞれどのような税率を適用すべきかに関して,類似の間題が生じうる。次善の意味での最適課税理論では,それぞれの税体系における最適課税ルールが求められることになる。
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