家の火所である竈に祭られる神。
竈神は旧中国全土で最も広く,最も親しく祭られた神である。竈王(そうおう),竈君,竈王爺,竈司など地方によって呼び名が異なる。旧暦の12月24日(北方では23日)の夜,一家の主(男)が竈神(そうしん)の紙の像を貼った前で,線香を焚き,飴や酒肉(供物は時代・地方によって異なる)を供えて祭った。この行事を〈送竈〉あるいは〈辞竈〉といい,その一年,家の中にとどまって,一家の者たちの行為の善悪を監察していた竈神が,天上の玉皇大帝のもとに報告に帰って行くに当たり,よりよく報告してもらうべく,供物を供えて饗応するものとされた。この日,天上に送られた竈神は,大晦日の深夜,その家に下すべき吉凶禍福を携えて再び厨房に降り,むこう一年,一家を監察することになる。竈の神が一家の命運を左右すると信じられたのは,そこが日々の飲食を供する最も重要,かつ神聖な場であったからであろう。
そこで,この竈の神は人の〈命を司る神--司命神〉であると見なされた。しかし古代において,竈神と司命神とは,それぞれ王の七祀のうちの一つで,厳然と別個の神格とされていた(《礼記(らいき)》祭法)。ただ,漢代には,竈を祭って不老不死を得るとか(《史記》封禅書),これに人を呪詛して死に至らしめるとか(同),また財を成したとか(《後漢書》陰識伝)の話があり,さらには,月の晦日の夜,竈神は天に上り,天上の司命神に人の罪過を報告するとの説(《抱朴子》微旨篇所引の緯書類)も見えるので,そのような職能をもつとされる竈神が,漢から唐の間にしだいに司命神そのものとみなされるようになったのであろう。唐・宋のころには,すでに都において,歳末に竈の口に酒糟をぬりつけ,司命神を酔わせるという行事(〈酔司命〉)があり,つまり,後世,飴を与えて司命神である竈神の口を封じるのと同趣のことが行われたことが,《輦下歳時記》《東京(とうけい)夢華録》などに見える。また,漢代には,五行説から夏に竈を祭るとの説も行われたが(《礼記》月令),これは,後世,地方によっては,12月とともに夏6月にも〈謝竈〉の行事が行われるのと相呼応する。なお,竈を祭ることは,きわめて早くから行われていたことと思われるが,その起源については,諸説(火神炎帝祝融を祭ったとする説,先炊老婦を祭ったとする説,祖先神を祭ったとする説など)あって,明らかでない。
執筆者:稲畑 耕一郎
朝鮮では一般に竈王(チユワン)と呼ばれる年老いた女性の神と考えられている。厨房の竈の正面の壁に小さな棚を設けて,ここに小さな器(竈王中鉢)を安置して主婦が毎早朝に最初に汲む〈浄華水〉や塩を盛って家内の平安と長寿を祈る。特定の祭日は定められていないが,安宅祭祀などの家庭内の祭りや引越し,新婦を迎えるとき,小児が初めて戸外に出るとき,家族の旅立ち等の際には供物を捧げたり,額に竈のすすをつけて平安や長寿を祈る習俗が見られる。
執筆者:伊藤 亜人
《古事記》には奥津日子神(おきつひこのかみ)と奥津比売命(おきつひめのみこと)が〈諸人(もろひと)の以ち拝(いつ)く竈の神〉とあり,また古代宮廷では内膳司に竈神が祭られていた。のちには修験者や巫女が荒神祓や竈祓を通して竈神の祭祀に関与してきた。民俗の中では,竈神は火伏の神や火の守護神であると同時に,食物や農耕の神ともされ,田植後に稲苗,収穫期に稲の初穂が供えられ,小正月には予祝として餅花が供えられた。このほか,子どもや牛馬が生まれると竈神に参ったり,花嫁は入家式でまず竈神を拝むなど,竈神は家族や牛馬の守護神ともされ,家つきの神として一家の盛衰をつかさどっていた。竈神には多産で醜い女神であるという伝承もあり,もとは一家の主婦が祭るべき神とされていた。竈神の呼称や祭り方は各地で異なり,陸前地方では竈仏,竈男と呼ばれる土製の面を竈の側の柱にかけて祭っており,畿内ではふだん使わぬ大釜の上に松やサカキを供えてオクドサンなどと呼んでいる。中国地方では土公神(どこうじん)がなまってドックサン,ロックサンと呼ばれ,大黒柱にサカキや五色旗を供えて祭っている。また竈神をオカマサマ,荒神(こうじん),普賢様(ふげんさま)という所もあり,沖縄では道教の影響をうけて年末に竈神が昇天して家族の行状を告げるという信仰もみられる。
執筆者:飯島 吉晴
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…家の火所である竈に祭られる神。
[中国]
竈神は旧中国全土で最も広く,最も親しく祭られた神である。竈王(そうおう),竈君,竈王爺,竈司など地方によって呼び名が異なる。…
…やはり米や麦を入れた壺であり,祖先神と考えられているが,後述する儒教的祭祀にみられる個別的な祖先ではない。台所には竈神(かまどがみ)(チョワンchowang)がまつられる。全羅道や忠清道の一部では,これは水を入れた小鉢の形で竈の上の壁にまつられている。…
…土公は地霊的存在で,その所在を侵すとたたるとされ,平安時代以降陰陽師による地鎮の土公祭が行われた。現在では竈神の様相が強いが,四季の土用には土を動かすなとか,春秋の社日(しやにち)には土公神をまつるなど,地霊的側面もある。中国地方の民間ではロックウサンなどと呼ばれ,家の火所にまつられ,火や竈の神のほか農業神や家族の守護神とされる。…
…ひょっとこは火を吹くときの顔を表現したもので,火男のなまった言葉とされている。陸前地方では大きな面を竈神としてかまどの側の柱に掲げてまつる風習があるが,その起源譚にはヒョウトクとかヒョットコという火焚き男が竈神となったと語られるものがある。ひょっとこはお亀とともに道化役として神楽(かぐら)の種まきや魚釣りの舞に登場し,口をとがらしたようすから潮吹きともいわれている。…
…《平家物語》を語る琵琶法師が〈当道(とうどう)〉と称し,久我(こが)家の支配下に自治組織を確立していたのに対し,盲僧は仏説座頭(ざとう)とも称して中国西部や九州地方に活躍,比叡山正覚院の支配を受けた。外来楽器の琵琶を奏する盲僧は,すでに奈良時代には存在したと思われるが,中世初頭に《平家物語》を語る平曲を表芸とする一団が活躍して地神経や荒神経を読んで地神や竈神(かまどがみ)をまつる盲僧から分離した。筑前琵琶の源流をなす筑前盲僧は,唐から直接日本に伝来した直系を称し,薩摩琵琶は鎌倉時代初期に島津氏に従って薩摩に下った盲僧の系譜を伝える。…
※「竈神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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