日本歴史地名大系 「竜田道」の解説
竜田道
たつたみち
河内から大和竜田(現奈良県生駒郡三郷町、北葛城郡王寺町)へ
竜田道は、伝説上では「日本書紀」の神武前紀や履中前紀に、神武・履中が河内から大和に入るのにこの道を利用しようとした、または通行したことがみえるが、実際に注目されてくるのは推古朝に聖徳太子が斑鳩宮を造った頃からであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
河内から大和竜田(現奈良県生駒郡三郷町、北葛城郡王寺町)へ
竜田道は、伝説上では「日本書紀」の神武前紀や履中前紀に、神武・履中が河内から大和に入るのにこの道を利用しようとした、または通行したことがみえるが、実際に注目されてくるのは推古朝に聖徳太子が斑鳩宮を造った頃からであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県生駒郡三郷町立野に所在する竜田大社の背後の山(竜田山)を越える道で,大和と河内を結ぶ古道の一つ。天武朝にはすでに利用されていたらしく,壬申の乱の記事中に,大伴吹負が兵を竜田へ派遣したことが見え,また,679年(天武8)11月には,大坂山と竜田山に関が設置されている。《日本書紀》の神武東征伝承や履中即位前紀にも,竜田山が見えるが,竜田道を念頭に置いて潤色された記事であろう。奈良時代には,平城京と難波を結ぶ官道として頻繁に利用されたらしく,《万葉集》には竜田山(立田山)を詠んだ歌が数多く見えている。また歌枕として紅葉を詠み合せた歌が多く作られるようになる。古代の竜田道がどのルートをたどったかは確定しがたく,北路,中路,南路の3ルートを想定する説もあるが,竜田大社から柏原市の雁多尾畑(かりんどうばた)へ登る道である可能性が大きい。なお,近世には,竜田山を登らずに,竜田大社から柏原市の峠集落を経て,雁多尾畑に至るルートが定着する。《大和志》や《河内志》では,この道筋を立野越え,亀瀬(かめのせ)越えと称している。
執筆者:和田 萃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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