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竹本三郎兵衛 たけもと・さぶろべえ

朝日日本歴史人物事典の解説

竹本三郎兵衛

生年:生没年不詳
江戸中期の浄瑠璃作者。竹本筑後掾の子(『戯財録』『南水漫遊』),あるいは筑後掾の末孫とする説(『穴意探』),また2代目吉田文三郎のことであるとする説(黒木勘蔵,若月保治)もあるが,詳細は不明。宝暦9(1759)年「日高川入相花王」の正本の作者連名に登場するのが初出。以後,近松半二,三好松洛らと合作。竹本座で「奥州安達原」「本朝廿四孝」「近江源氏先陣館」など,豊竹座で「迎駕籠死期茜染」「艶容女舞衣」などの世話物の名作を残す。安永9(1780)年の「東山殿幼稚物語」まで20年間に三十余編を合作する。半二の名パートナーであった。3代目は天明・寛政期(18世紀後半)に活躍。<参考文献>黒木勘蔵『浄瑠璃史』,若月保治『人形浄瑠璃史研究』,『義太夫年表/近世篇1』

(山田和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たけもとさぶろべえ【竹本三郎兵衛】

人形遣い,浄瑠璃作者,歌舞伎作者に同名の3人が知られている。(1)人形遣い。1747年(延享4)没。本名吉田三郎兵衛。辰松八郎兵衛とともに道頓堀竹本座創設以来立役人形を遣って名手とうたわれた。《曾根崎心中》の徳兵衛,《国性爺合戦》の和藤内などを初演した。(2)浄瑠璃作者。生没年不詳。竹本義太夫の子または孫とする説,2世吉田三郎兵衛の別名という説などがあるが,明らかでない。1759年(宝暦9)2月の《日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)》を竹田小出雲,近松半二らと合作したのが初めで,以後80年(安永9)2月の《東山殿幼稚物語(ひがしやまどのおさなものがたり)》まで,20年間に30余編の合作に名を連ねた。

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世界大百科事典内の竹本三郎兵衛の言及

【関取千両幟】より

…9段。近松半二三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,八民平七,竹本三郎兵衛合作。1767年(明和4)8月大坂竹本座初演。…

【太平記忠臣講釈】より

…人形浄瑠璃。近松半二三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,筑田平七,竹本三郎兵衛作。1766年(明和3)10月大坂竹本座初演。…

【近松半二】より

…この期の作では《日高川入相花王(いりあいざくら)》《極彩色娘扇》《由良湊千軒長者》などが著名。62年の《奥州安達原》以後,70年(明和7)まで立作者近松半二,脇作者竹本三郎兵衛に群小作者が加わった体制で,《敵討稚物語》《蘭奢待新田系図》《姻袖鏡(こんれいそでかがみ)》《本朝廿四孝》《小夜中山鐘(つりがねの)由来》《太平記忠臣講釈》《関取千両幟》《三日太平記》《傾城阿波の鳴門》《近江源氏先陣館》《太平頭鍪飾(たいへいかぶとのかざり)》(現行曲《鎌倉三代記》の原型)と名作を相次いで生むが,半二の健筆にもかかわらず,人形浄瑠璃は衰退期にさしかかり,1767年には竹本座も退転し,再興はされたものの興行的に不安定な状態が続く。71年,傑作《妹背山婦女庭訓》(三好松洛らと合作)を著した後,安永期(1772‐81)には世話物が多くなり,《心中紙屋治兵衛》(《心中天の網島》の改作。…

【艶容女舞衣】より

…1772年(安永1)12月大坂豊竹座初演。竹本三郎兵衛,豊竹応律,八民(やたみ)平七の合作。上中下3巻の世話物。…

【本朝廿四孝】より

…通称《廿四孝》。近松半二三好松洛,竹田因幡,竹田小出,竹田平七,竹本三郎兵衛による合作。1766年(明和3)1月14日から大坂竹本座初演。…

※「竹本三郎兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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