人形浄瑠璃。時代物。5段。近松門左衛門作。大坂竹本座初演。1715年(正徳5)11月から17年(享保2)2月まで閏月をはさんで3年越し17ヵ月の長期公演となった。50,60年以前の明・清抗争期に活躍した,父が中国人,母が日本人の鄭成功の英雄譚に題材をとった。明国が韃靼(だつたん)国に攻められ,壊滅の危機に至ったとき,明朝の遺臣鄭芝竜(老一官)と平戸浦の日本婦人との間に生まれた和藤内という青年が,父母とともに大陸に渡って明国の復興をはかる。千里ヶ竹で猛虎を退治し,老一官の娘錦祥女(きんしようじよ)と母の命を賭した行為によって錦祥女の夫甘輝(かんき)を味方にし,九仙山の合戦などで勝利をおさめ,逆臣李蹈天を討つ。《今昔操年代記》に〈竹田出雲頓知発明より国性爺合戦といふ浄るりのおもひ付,門左衛門老功の一作〉とあるように,衆知を集めてつくられた,唐風描写のエキゾティシズムと,伊勢神宮の神威を強調するナショナリズムを交錯させ,大仕掛けのカラクリを採り入れたスケールの大きな作品で,近松時代浄瑠璃の代表作。国性爺は正しくは国姓爺と書くが,近松が意識的に文字を書き直したと考えられている。〈千里ヶ竹〉と呼ばれる猛虎退治の場の和藤内の活躍ぶりや,〈紅流し〉と呼ばれる場面で,甘輝館の外で待つ和藤内に錦祥女が紅を流して合図をし,和藤内が事破れたと知って乱入する激しさが,歌舞伎に採り入れられ独特の飛び六方が工夫されるなど,衣装や隈取を合わせて荒事の代表的演目ともなった。〈南無三,紅が流れたァ〉のせりふと大見得が有名である。三段目〈甘輝館〉は,夫婦の縁にこだわって味方するのを承知しない夫甘輝のわだかまりを解くために自害する錦祥女や,その義理の娘の死に対して,日本の女の義理を果たすために自害する母親など,困難な局面の設定とその解決の作劇術が注目される。四段目の〈碁立(ごたて)軍法の段〉は,カラクリを見せるもので,初演以後はほとんど上演されたことがない。戯曲史的には,このときから各段の幕間に演じる習慣になっていたのろま人形が消滅したといわれ,5段組織の典型が完成した。新劇でも小山内薫や矢代静一などによって新脚色が試みられたことがある。人形浄瑠璃,歌舞伎ともに,二,三段目の鴫(しぎ)と蛤(はまぐり)の争いを見て軍法の奥義を悟る和藤内のたくましさを示す〈浜づたい〉と〈千里ヶ竹〉,三段目の錦祥女と父子,姉弟の名のりをする〈楼門〉と〈甘輝館紅流し〉を上演するのが通例である。
執筆者:向井 芳樹
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。5段。近松門左衛門作。1715年(正徳5)11月大坂・竹本座初演。正保(しょうほう)(1644~48)のころ、明(みん)国人鄭芝龍(ていしりょう)と日本人の間に生まれた鄭成功(ていせいこう)が、明朝回復に尽力した事跡を脚色。主人公和藤内(わとうない)は混血児で、和人でも唐人でもないという意味の名、国性爺は国から性(姓)を賜ったとの意である。
初段―明の思宗烈(しそうれつ)皇帝は逆臣李蹈天(りとうてん)の内通により韃靼(だったん)軍に攻め滅ぼされるが、忠臣呉三桂(ごさんけい)は誕生した太子を守って落ち延び、皇妹栴檀女(せんだんじょ)は小舟に乗って逃れる。二段(鴫蛤(しぎはまぐり)・虎(とら)狩り)―明の旧臣鄭芝龍は九州・平戸に亡命して老一官(ろういっかん)と名のっていた。彼と日本人との間に生まれ成人した和藤内が、浜で鴫と蛤の争いを見て軍法を悟るところへ、栴檀女の舟が流れ着く。和藤内は故国を救うため父母とともに明へ渡り、千里ヶ竹では襲ってきた猛虎(もうこ)を伊勢(いせ)神宮のお札の威徳で従える。三段(楼門)―一官は妻や和藤内と、先妻の娘錦祥女(きんしょうじょ)を妻とする将軍甘輝(かんき)を獅子(しし)ヶ城に訪ね、味方を頼むが、甘輝が不在なので、母ひとり縄にかかって城内へ入る。同(紅(べに)流し・甘輝館)―いまは韃靼に従う甘輝は、帰館して母の頼みを承諾しようと思うものの、妻の縁で裏切ったという不名誉を恐れ、錦祥女を刺そうとするが、母は継娘(ままむすめ)をかばって殺させない。錦祥女はやむなく破談を城外の和藤内に知らせるため、しるしの紅を泉水に流す。和藤内が怒って城内へ入ると、錦祥女は自害した自分の血だと打ち明け、夫に父や義弟への味方を願う。妻の心に打たれた甘輝は和藤内を国性爺と崇(あが)めて味方を誓い、母は自害して息子たちを励ます。四、五段―国性爺と甘輝は、九仙山で幼君を守護していた呉三桂と協力して韃靼軍と李蹈天を討伐、明国は再興する。
新奇でエキゾチックな題材と雄大な構成が喜ばれ、初演のときは3年越し17か月のロングランを記録。翌年(1716)秋には歌舞伎(かぶき)にも移され、以後人形浄瑠璃と両方で繰り返し上演されてきた。歌舞伎では和藤内を荒事(あらごと)演出で完成させ、ことに三段目「紅流し」で激怒して花道を入るところが見せ場。「楼門」では錦祥女、後の「甘輝館」では甘輝と和藤内の母を中心に、義理と人情の絡み合いが近松独特の名文で描かれている。
[松井俊諭]
『守随憲治・大久保忠国校注『日本古典文学大系50 近松浄瑠璃集 下』(1959・岩波書店)』▽『原道生著『鑑賞日本の古典16 近松集』(1982・小学館)』
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人形浄瑠璃。時代物。5段。近松門左衛門作。1715年(正徳5)11月大坂竹本座初演。明の貿易商鄭芝竜(ていしりゅう)と日本人を母にもつ平戸生れの鄭成功(ていせいこう)が中国に渡り,明国の将軍となって清と戦った史実をもとに,錦文流(にしきぶんりゅう)作「国仙野手柄日記」を参考に脚色。舞台が日本と中国にわたり,主人公和藤内(わとうない)(鄭成功)の剛勇ぶりや,大仕掛のからくりなど,スケールの大きい変化にとんだ作品で,初演時には足掛け3年越しの大当りをとった。本作により近松の時代浄瑠璃の定型が完成したことや,幕間に演じていたのろま人形を廃止したことなど,浄瑠璃史上重要な作品の一つ。歌舞伎にもただちに移入され,和藤内は荒事の代表的人物として人気を博した。浄瑠璃・歌舞伎・浮世草子・謡曲などに追随作がみられ,新劇でも改作物を上演。現在は浄瑠璃・歌舞伎ともに2・3段目の上演が多い。「岩波文庫」所収。
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…18世紀初期に,無名の庶民を主人公としながら悲劇の風格を備え,イプセンの近代劇と相通ずる,時・所・筋の三一致的扱いが認められるなど,近松世話浄瑠璃は世界演劇史的観点からも高く評価されている。同時に近松は,雄大,華麗に時代物にも健筆をふるい,《酒呑童子枕言葉》《傾城反魂香》《平家女護島》など100作近くを著したが,特に15年(正徳5)《国性爺合戦》は,17ヵ月続演の画期的大当りをとり,初代義太夫没後の竹本座の基礎を固め,この成功を契機として,18世紀前半の上方演劇界で,浄瑠璃は歌舞伎を圧し,現代劇の首座を占めるに至る。
[浄瑠璃全盛期――1720年代~1751年]
1703年初代義太夫の門弟豊竹若太夫(越前少掾)は,竹本座から独立し豊竹座を創立,持ち前の美声と経営的手腕で地歩を固め,初代義太夫,近松没後の浄瑠璃界は竹豊両座対抗の時代を迎えた。…
※「国性爺合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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