日本大百科全書(ニッポニカ)「本朝廿四孝」の解説
本朝廿四孝
ほんちょうにじゅうしこう
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。通称「廿四孝」。近松半二(はんじ)・三好松洛(みよししょうらく)・竹田因幡(いなば)・竹田小出雲(こいずも)・竹田平七・竹本三郎兵衛合作。1766年(明和3)1月、大坂・竹本座初演。武田信玄と上杉謙信の争いに斎藤道三(どうさん)を配し、諏訪(すわ)湖を渡る霊狐の伝説や中国二十四孝の故事を取り入れて脚色。近松門左衛門の『信州川中島合戦』をもとに、複雑な技巧をちりばめた作で、初演の4か月後、歌舞伎(かぶき)に移されている。
初段――武田の息勝頼(かつより)と長尾(上杉)の息女八重垣姫(やえがきひめ)の婚約が調うが、将軍足利義昭(あしかがよしあき)が何者かに鉄砲で暗殺されたので、両家ともその嫌疑を解くため、3年たっても曲者(くせもの)が捕らえられないときは、謙信は景勝、信玄は勝頼、それぞれ一子の首を打つと誓う。二段目(信玄館)――約束の3年後、逆心のある家老板垣兵部(ひょうぶ)は、幼時に勝頼とすり替えておいたわが子を助けようと、百姓簑作(みのさく)、実は真の勝頼を連れてくるが、信玄はこれを見破り、偽(にせ)勝頼は切腹、真の勝頼は長尾家にある諏訪法性(ほっしょう)の兜(かぶと)を取り戻すため、腰元濡衣(ぬれぎぬ)とともに信濃(しなの)へ向かう。三段目(桔梗(ききょう)ヶ原・勘助住家)――武田の臣高坂弾正(こうさかだんじょう)は桔梗ヶ原で、軍略家山本勘助の次男慈悲蔵(じひぞう)の子を拾う。弾正の妻は子供を餌(えさ)に慈悲蔵を武田家に仕えさせようとするが、彼はすでに謙信の臣になっているので受け付けず、兄の横蔵と雪中で争い、亡父の秘蔵した軍書を手に入れ、母と心をあわせ、兄を主君景勝の身替りにたてようとする。しかし、信玄の家臣になっていた横蔵は、身替りの役にたたぬようにと自ら片方の目をえぐり、父の名山本勘助を襲(つ)ぎ、直江山城守(なおえやましろのかみ)となった慈悲蔵と敵味方に分かれる。四段目(謙信館・奥庭)――許婚(いいなずけ)の死を聞き、十種香(じしゅこう)をたいて回向(えこう)していた八重垣姫は、父謙信に召し抱えられた花作り簑作、実は真の勝頼を見て激しく恋慕する。謙信は勝頼の正体を見抜き、討っ手を向けるが、姫はその危急を救うため、奥庭から兜を盗み出し、これを守護する霊狐の狐火(きつねび)に導かれて湖水を渡る。濡衣の父関兵衛は、実はかつて将軍を暗殺した斎藤道三で、いままた後室を鉄砲で撃つが、濡衣が身替りになって死に、これまで不和とみせた武田・長尾両家の働きによって、謀反の陰謀が破れる。
三段目で、慈悲蔵がわが子を捨てるところに「二十四孝」の郭巨(かっきょ)の話、母のため雪中から筍(たけのこ)を掘ろうとするところに同じく孟宗(もうそう)の話を当て込んでいる。無法者の横蔵が実は軍師山本勘助という趣向が奇抜で、俗に「筍」ともよばれる。もっとも有名なのは「謙信館」で通称「十種香」、次の「奥庭」(通称「狐火」)とともに、八重垣姫の情熱的な恋を描いた名場面で、姫は歌舞伎では「三姫」の一つという大役になっている。
[松井俊諭]
『守随憲治校注『日本古典全書 近松半二集』(1949・朝日新聞社)』