本朝廿四孝(読み)ホンチョウニジュウシコウ

デジタル大辞泉 「本朝廿四孝」の意味・読み・例文・類語

ほんちょうにじゅうしこう〔ホンテウニジフシカウ〕【本朝廿四孝】

浄瑠璃時代物。5段。近松半二ほか合作。明和3年(1766)大坂竹本座初演。「甲陽軍鑑」に取材し、中国の二十四孝の故事を配する。廿四孝

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改訂新版 世界大百科事典 「本朝廿四孝」の意味・わかりやすい解説

本朝廿四孝 (ほんちょうにじゅうしこう)

人形浄瑠璃。時代物。5段。通称《廿四孝》。近松半二三好松洛竹田因幡竹田小出竹田平七竹本三郎兵衛による合作。1766年(明和3)1月14日から大坂竹本座初演。角書(つのがき)に〈武田信玄長尾謙信〉とあるように,武田・上杉両家の争いを骨組みにした複雑な構成の作品。信玄・謙信の確執に取材した作品中の代表作。(1)一段目 武田家の重宝諏訪法性(すわほつしよう)の兜を上杉家が返さないので,両家は不和となっているが,和解のため上杉の娘八重垣姫武田勝頼との縁組みが決まる。ところが,足利将軍義晴が何者かに鉄砲で殺されるので,犯人があがるまで3ヵ年の期限つきで休戦となり,見つからない場合は,両家はそれぞれ嫡子勝頼,景勝の首を討って差し出すことを決める。(2)二段目 3年たったが,犯人はわからない。ために,勝頼の命が危い。逆心のある武田の奥家老板垣兵部は,かねてわが子を勝頼とすり替えておいたが,その勝頼として育てられたわが子を助けるため,本物の勝頼を探してきて殺そうとするが,信玄に見破られる。偽の勝頼は切腹し,真の勝頼は,腰元の濡衣(ぬれぎぬ)と兜を求めて旅立つ。(3)三段目 軍学者山本勘助に,横蔵と慈悲蔵の2人の遺児がいた。兄横蔵は,一見くせ者だが,実は深慮遠謀の人だった。弟の慈悲蔵は,老母への孝養が厚い。慈悲蔵はわが子を捨て,兄の子次郎吉を養育する。その次郎吉は実は将軍の遺児で,のちに横蔵は,山本勘助を名のり武田に仕え,上杉方の弟とは敵味方になる。本作の題名は,この一段に,中国の〈廿四孝〉にちなみ,慈悲蔵が母のために雪中から筍(たけのこ)を掘ろうとする場面があるところから付けられた。(4)四段目 勝頼は,濡衣と薬売りに身をやつして,甲斐から信濃へ下る。やがて,勝頼は花作りとなり,濡衣は八重垣姫の腰元となって上杉の屋敷に入る。姫は許婚勝頼を慕い,十種香(じしゆこう)を焚いて悼んでいるので,濡衣は,諏訪法性の兜を盗み出すことを条件に真実の勝頼を引き合わせる。勝頼に謙信の討手がかかるので,その危急を告げようと,姫は兜に祈る。そのとき,狐火が燃え,姫は狐が乗り移って湖を渡り,勝頼のあとを追う。ついには,将軍の暗殺者が美濃の斎藤道三であったことが知れ,道三は自害する。その娘が濡衣だった。濡衣は,将軍の御台の身替りとなって死ぬ。勝頼と八重垣姫とは晴れて結ばれる。(5)五段目 勘助の計らいで,北条・村上は滅ぼされ,武田・上杉両家の不和も収まる。

 初演時は,とくに四段目が評判で,勝頼・濡衣の道行に続いて,百物語,狐に化かされる村上の滑稽な場を置き,さらに十種香,狐火,道三最期と展開する変化を第一とする演出が特徴。なかでも,四段目切(きり)の謙信館における〈道三最期の場〉は,例をみないほどの大がかりなスペクタクル風の演出で,大当りをとった。初演の年の5月,さっそく歌舞伎に移された。大坂中の芝居(三枡大五郎,中村歌右衛門の両座本)の上演が,その最初である。濡衣を2世山下金作,八重垣姫を初世嵐雛助,勝頼を2世嵐三五郎,道三を初世中村歌右衛門ら。その後,繰り返し上演されてきたが,今日では,四段目切の〈十種香〉〈狐火〉が最も有名で,ほかに三段目切の〈勘助住家(景勝下駄,筍掘り,勘助物語)〉も演じられる。歌舞伎では,本作の八重垣姫と《金閣寺》(《祇園祭礼信仰記》)の雪姫,《鎌倉三代記》の時姫を〈三姫〉と呼んで,難役の一つ。〈十種香〉は,この八重垣姫の女方芸が見どころとなる。勘助の母は老母役としてまた至難の芸とされ,これも〈三婆(さんばばあ)〉の一つに数えることがある。

 先行作として近松の《信州川中島合戦》がある。作品の構成上の骨格を,その近松作にとりながら,演出上の工夫を加えて発展させたのが本作である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本朝廿四孝」の意味・わかりやすい解説

本朝廿四孝
ほんちょうにじゅうしこう

浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。通称「廿四孝」。近松半二(はんじ)・三好松洛(みよししょうらく)・竹田因幡(いなば)・竹田小出雲(こいずも)・竹田平七・竹本三郎兵衛合作。1766年(明和3)1月、大坂・竹本座初演。武田信玄と上杉謙信の争いに斎藤道三(どうさん)を配し、諏訪(すわ)湖を渡る霊狐の伝説や中国二十四孝の故事を取り入れて脚色。近松門左衛門の『信州川中島合戦』をもとに、複雑な技巧をちりばめた作で、初演の4か月後、歌舞伎(かぶき)に移されている。

 初段――武田の息勝頼(かつより)と長尾(上杉)の息女八重垣姫(やえがきひめ)の婚約が調うが、将軍足利義昭(あしかがよしあき)が何者かに鉄砲で暗殺されたので、両家ともその嫌疑を解くため、3年たっても曲者(くせもの)が捕らえられないときは、謙信は景勝、信玄は勝頼、それぞれ一子の首を打つと誓う。二段目(信玄館)――約束の3年後、逆心のある家老板垣兵部(ひょうぶ)は、幼時に勝頼とすり替えておいたわが子を助けようと、百姓簑作(みのさく)、実は真の勝頼を連れてくるが、信玄はこれを見破り、偽(にせ)勝頼は切腹、真の勝頼は長尾家にある諏訪法性(ほっしょう)の兜(かぶと)を取り戻すため、腰元濡衣(ぬれぎぬ)とともに信濃(しなの)へ向かう。三段目(桔梗(ききょう)ヶ原・勘助住家)――武田の臣高坂弾正(こうさかだんじょう)は桔梗ヶ原で、軍略家山本勘助の次男慈悲蔵(じひぞう)の子を拾う。弾正の妻は子供を餌(えさ)に慈悲蔵を武田家に仕えさせようとするが、彼はすでに謙信の臣になっているので受け付けず、兄の横蔵と雪中で争い、亡父の秘蔵した軍書を手に入れ、母と心をあわせ、兄を主君景勝の身替りにたてようとする。しかし、信玄の家臣になっていた横蔵は、身替りの役にたたぬようにと自ら片方の目をえぐり、父の名山本勘助を襲(つ)ぎ、直江山城守(なおえやましろのかみ)となった慈悲蔵と敵味方に分かれる。四段目(謙信館・奥庭)――許婚(いいなずけ)の死を聞き、十種香(じしゅこう)をたいて回向(えこう)していた八重垣姫は、父謙信に召し抱えられた花作り簑作、実は真の勝頼を見て激しく恋慕する。謙信は勝頼の正体を見抜き、討っ手を向けるが、姫はその危急を救うため、奥庭から兜を盗み出し、これを守護する霊狐の狐火(きつねび)に導かれて湖水を渡る。濡衣の父関兵衛は、実はかつて将軍を暗殺した斎藤道三で、いままた後室を鉄砲で撃つが、濡衣が身替りになって死に、これまで不和とみせた武田・長尾両家の働きによって、謀反の陰謀が破れる。

 三段目で、慈悲蔵がわが子を捨てるところに「二十四孝」の郭巨(かっきょ)の話、母のため雪中から筍(たけのこ)を掘ろうとするところに同じく孟宗(もうそう)の話を当て込んでいる。無法者の横蔵が実は軍師山本勘助という趣向が奇抜で、俗に「筍」ともよばれる。もっとも有名なのは「謙信館」で通称「十種香」、次の「奥庭」(通称「狐火」)とともに、八重垣姫の情熱的な恋を描いた名場面で、姫は歌舞伎では「三姫」の一つという大役になっている。

[松井俊諭]

『守随憲治校注『日本古典全書 近松半二集』(1949・朝日新聞社)』

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百科事典マイペディア 「本朝廿四孝」の意味・わかりやすい解説

本朝廿四孝【ほんちょうにじゅうしこう】

浄瑠璃,およびこれに基づく歌舞伎劇。近松半二ほかの合作で,1766年竹本座で初演。武田信玄,上杉謙信の抗争を背景に,信玄の子勝頼と謙信の息女八重垣姫の恋愛や,両家の軍師山本勘助,直江山城守の活躍などを描いたもの。〈十種香〉〈狐火〉などの場面が有名。
→関連項目時代物中村歌右衛門二十四孝

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本朝廿四孝」の解説

本朝廿四孝
ほんちょうにじゅうしこう

人形浄瑠璃。時代物。5段。近松半二・三好松洛(しょうらく)・竹田因幡・竹田小出・竹田平七・竹本三郎兵衛合作。1766年(明和3)1月大坂竹本座初演。武田・上杉両家は不和だが,室町将軍足利義晴暗殺の犯人の探索が両家に命じられる。武田家奥家老板垣兵部はわが子と武田勝頼をいれかえていたが,それが発覚。山本勘助の名前の継承をめぐる慈悲蔵と横蔵の逸話。上杉家の息女八重垣姫が許嫁(いいなずけ)の勝頼を慕う一途な心。将軍暗殺の犯人が斎藤道三とわかることなどが複雑に展開。最後には北条・村上が山本勘助のはからいで滅ぼされ,上杉・武田両家の不和も収まる。題名の由来は3段目,慈悲蔵が母のために雪中から筍(たけのこ)を掘ろうとする場面が,中国の「廿四孝」にちなむため。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本朝廿四孝」の意味・わかりやすい解説

本朝廿四孝
ほんちょうにじゅうしこう

浄瑠璃。時代物。5段。近松半二,三好松洛らの合作。明和3 (1766) 年大坂竹本座初演。近松門左衛門作『信州川中島合戦』などから影響を受けている。斎藤道三の陰謀,武田,上杉両家の確執,山本勘助の活躍,武田勝頼と八重垣姫の恋物語などをからめ,諏訪湖の白狐伝説,二十四孝説話なども織り交ぜた複雑な筋書をもつ。3段「勘助住家」,4段「謙信館 (十種香・奥庭) 」が有名。歌舞伎でも上演。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「本朝廿四孝」の解説

本朝廿四孝
ほんちょう にじゅうしこう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
近松半二 ほか
補作者
並木五兵衛 ほか
初演
明和3.5(大坂・三桝座)

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世界大百科事典(旧版)内の本朝廿四孝の言及

【甲陽軍記物】より

…ほかに《三軍桔梗原(さんぐんききようがはら)》《甲斐源氏桜軍配》など。最も優れているのは,66年(明和3)1月竹本座上演の《本朝廿四孝》で,歌舞伎でも繰り返し上演されている。歌舞伎では1876年3月上演の河竹黙阿弥作《川中島東都錦絵(かわなかじまあずまのにしきえ)》が有名。…

【山本勘介】より

…【笹本 正治】 山本勘介は《甲陽軍鑑》《北越太平記》などの俗書や講談に,短軀,跛足,眇眼の智将として描かれる。戯曲化は《信州川中島合戦》(1721年8月竹本座,近松門左衛門作)をはじめ《本朝廿四孝》(1766年5月竹本座,近松半二ら作)などの浄瑠璃が著名。《本朝廿四孝》では,慈悲蔵(後に上杉の軍師直江山城守)の兄横蔵を勘助の前身と設定している。…

※「本朝廿四孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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