竹本住太夫(初代)(読み)たけもと・すみたゆう

朝日日本歴史人物事典 「竹本住太夫(初代)」の解説

竹本住太夫(初代)

没年:文化7.3.20(1810.4.23)
生年:生年不詳
江戸中・後期義太夫節太夫。摂津住吉(大阪市)の人で,それに因んだ名。本名田中文蔵。2代目竹本政太夫の門弟。宝暦6(1756)年に京都で初出座。明和3(1766)年には人形浄瑠璃の大坂竹本座に出座。一時江戸へ下って日本橋に住み,石町の住太夫と呼ばれる。天明3(1783)年の江戸土産「加々見山旧錦絵」の「長局の段」,8年には江戸での「花上野誉の石碑」の「志渡寺の段」,寛政期三都での「仮名手本忠臣蔵」の「判官切腹の段」などが好評。歌う風潮を廃し,詰めた言い方で語り物の本質を追求したといい,その語り口は「住太夫風」といわれ,現在も「長局」「志渡寺」,「伊賀越道中双六」の「岡崎」に伝わる。名跡は7代におよび,昭和期の6,7代目は重要無形文化財。

(高木浩志)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本住太夫(初代)」の解説

竹本住太夫(初代) たけもと-すみたゆう

?-1810 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代竹本政太夫(まさたゆう)の門弟で,宝暦7年京都で初舞台。江戸で活躍し,石町(こくちょう)住太夫とよばれた。住太夫風の浄瑠璃を創始,「長局」「志渡寺(しどうじ)」などで評判となった。文化7年3月19日死去。摂津住吉(大阪府)出身。姓は田中。通称は丸屋文蔵。

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