笠岡(市)(読み)かさおか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「笠岡(市)」の意味・わかりやすい解説

笠岡(市)
かさおか

岡山県南西端、瀬戸内海に臨む市。笠岡諸島を含む。1952年(昭和27)笠岡金浦(かなうら)の2町が合併して市制施行。1953年城見、陶山(すやま)、大井、吉田、新山(にいやま)、神島内(こうのしまうち)の6村、1955年神島外(そと)、北木島(きたぎしま)の2町と白石島(しらいしじま)、真鍋島(まなべしま)、大島(一部)の3村、1960年北川村を編入。JR山陽本線、国道2号、山陽自動車道が通じ、笠岡インターチェンジがある。市名は古代の笠の国または笠臣(かさおみ)の国に由来する。『和名抄(わみょうしょう)』には小田郡魚渚(いおすな)郷とあり、中世には陶山荘(しょう)が置かれ、その後伊予海賊村上衆の根拠地となり、高松城(現在の古城山)が築かれた。近世には毛利(もうり)氏、幕府、池田氏、水野氏の支配を経て、1698年(元禄11)以降明治維新まで幕府領で代官所が置かれた。1733年(享保18)には芋代官(いもだいかん)とよばれ、石見(いわみ)(島根県)でサツマイモ栽培を普及させた井戸正朋(まさとも)が代官となり、彼の死後備中(びっちゅう)でもサツマイモ栽培が行われるようになった。また1797年(寛政9)には代官早川正紀(まさのり)が郷校敬業館(けいぎょうかん)を設立して教育普及に努めた。廃藩置県では小田県となり、一時県庁所在地となった。笠岡港は西廻(にしまわり)海運で栄えた。

 近代工業は明治初年、製糸紡績で始まったが、第二次世界大戦後、繊維工業は衰退した。隣接する福山市のJFEスチールの一部や、神島の化学肥料のほか電気機器、食品工業、家具製造などがある。笠岡湾干拓事業が1990年(平成2)に完成、1200ヘクタールの農用地がつくられた。1995年井笠地方拠点都市地域に指定された。島嶼(とうしょ)部は過疎化が進んでいるが、真鍋島は花の露地栽培、北木島は石材で知られる。白石島の白石踊は国指定重要無形民俗文化財。遍照寺多宝塔は国指定重要文化財、持宝院梵鐘(ぼんしょう)は県指定重要文化財。神島水道はカブトガニの繁殖地で、国の天然記念物に指定されている。面積は136.24平方キロメートル、人口4万6088(2020)。

[由比浜省吾]

『『笠岡市史』全8巻(1983~2004・笠岡市)』


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