改訂新版 世界大百科事典 「世界政治」の意味・わかりやすい解説
世界政治 (せかいせいじ)
world politics
国際政治という概念は,まず主権国家を基本単位として措定し,そうした国家間の政治に着目する視座を示す。これと区別された世界政治という概念は,まず世界という社会を基本単位として措定し,世界社会のさまざまなレベルでの政治やその全体的関連に着目する視座を示す。経済・情報等が世界化する半面,環境・資源の地球的限界が顕在化した現代で,世界は単一のシステムだという現実と意識が形成されつつあることの反映である。
古典的近代国際政治
近代の国際政治の基本型は,主権国家からなる国際政治体系state systemにあり,これはヨーロッパで形成された。1648年のウェストファリア条約にちなんで〈ウェストファリア体制〉とも呼ばれる。主権国家とは,国際的に国家をこえる裁判官をもたず,国内的に他の社会集団に優位するという二重の至高性を特徴とする。したがって国際関係は基本的にアナーキーという性格をもつ。それは,(1)各国が物理的強制手段をそれぞれに保有しているという意味で,暴力手段の多元性を意味し,(2)各国ができるだけ経済的自給性を指向するという意味で,経済資源や福祉価値の配分の閉鎖性をもたらし,(3)各国が固有の価値体系やイデオロギーを確立して競い合うという意味で,文化価値の排他性を特徴とする。その意味で,三重のアナーキーが構造化されているといってよい。
こうしたアナーキーとしての国際政治観は,確かに古典的主権国家体系の現実を反映している面があるが,他方,それはヨーロッパ人の主観的な自己イメージを示すものでもあった。つまり一方では,国家間の価値配分や紛争処理の方式として,最終的には戦争をひとつの制度として承認する態度や行動が一般化したという点に,主権国家体系の現実が示されていた。国内であれば殺人として厳罰に処せられるような行為が,国際関係では愛国的行為として称揚されるという事態は,確かに国際的な価値のアナーキーを端的にあらわすものであった。しかし他面で,当時〈キリスト教諸国〉〈ヨーロッパ共和国〉〈文明諸国民〉などといった言葉がしばしば使われたことに象徴されるように,ヨーロッパの主権国家体系における価値体系の共有という意識が存在したことも事実である。こうした価値体系の排他性と共有性とは,明らかに矛盾する面をもっている。しかし他面,まさに価値体系の共有の意識があればこそ,ヨーロッパ諸国間の戦争は〈同族殺戮(さつりく)〉のイメージを生み,したがって無秩序・アナーキーのイメージもまた鮮烈に脳裏に焼きつけられることになった。このように,三重のアナーキーとしての主権国家体系には,現実として存在する面と,イメージとして存在する面とがあり,この両者は必ずしも一致しないという点に留意する必要がある。このことは,とくに次の二つの点で重要である。
第1に,現実には三重のアナーキーと同じ関係におかれる非ヨーロッパの〈国家〉が,たとえばオスマン・トルコ帝国のような場合でさえ,主権国家体系の構成員としてつねに認められたわけではないという点である。いわんや〈文明諸国民〉に属さないとみなされる〈未開・野蛮〉な非ヨーロッパ世界には主権国家体系は適用されず,そこの現住民に対する武力行使は〈戦争〉とさえ認められない事実上の征服行為という性格を帯びることになる。ヨーロッパ内の価値体系では許容されない商品としての奴隷の交易,また奴隷調達のためのアフリカでの武力行使は,その一例である。
これと関連して第2に,古典的主権国家体系の形成・定着の時代は,通例〈民族国家〉成立の時代と呼ばれるが,これは高度にヨーロッパ人の自己イメージの反映にほかならなかった。当時代表的な〈民族国家〉と呼ばれたイギリス,フランス,オランダ,ドイツ等は,いずれも植民地帝国であった。実態としては多くの他民族を支配している帝国を〈民族国家〉と呼ぶ場合,それが高度に主観的なイメージの世界に属することは明らかである。
現代的国際政治
以上に述べた古典的近代国際政治は,主として17~19世紀にヨーロッパを中心に形成されたが,第1次世界大戦--つまりヨーロッパ全域を巻き込んだ戦争--を契機に,それは変質をはじめた。第1の暴力手段の多元性との関連でいえば,900万人に近い戦死者を出したことは欧米人に強い衝撃を与えた。その結果,すでに18世紀から主権国家体系の弊害を減らすための構想として多くの議論がなされてきた国際機構が,国際連盟として現実化した。第2の経済福祉体系の閉鎖性については,戦後賠償問題の処理の過程で,戦敗国ドイツ,戦勝国イギリス,フランスおよびアメリカを結びつける個別国家をこえた金融の流れが,経済復興と不可分であることが実証された。第3の価値体系の排他性についても,民主主義,民族自決主義が西ヨーロッパとアメリカに共通の原則として受容される反面,ボリシェビズムを共通の敵として国際的反共主義が共有されることになった。
こうした古典的主権国家体系の変容は,第2次世界大戦後,さらに一段と深まることになった。その第1の契機は,核兵器に示されるテクノロジーの発達が,一主権国家の枠をこえてしまったことである。古典的国際政治では,自国の生存のため最終的には敵国の生存を否定する可能性が客観的に存在していたのに対し,核時代という現代の国際政治では,まさに自国の生存のために敵の生存をも容認しなければならないという,新たな条件が発生した。第2に,未曾有の破壊からの経済復興が一国家単位で不可能なことは明らかであり,西側の1947年のマーシャル・プランは,旧敵国への援助という,古典的国際政治ではみられなかった側面をも含めて,経済の国際的組織化の素地をつくった。東側でも,のちに〈社会主義的国際分業体系〉と呼ばれるようになったソ連中心の経済の国際的組織化が進められた。第3に,政治の飛躍的な大衆化に対応して,政治的組織化の媒体としてイデオロギーの重要性が増したが,まさにこのイデオロギー体系が,個別国家をこえる東西二つのブロックを構成することになった。このように主権国家の枠をこえるテクノロジーと経済とイデオロギーが,現代国際政治を大きく特徴づける要因となった。
もちろん,こうしたブロック化は,主権国家体系の終焉(しゆうえん)を意味するものではない。それを端的に示すのは,他の個別国家の主権を大きく制約することになった米ソ中心のブロックは,それ自体巨大な国家であり,まさに米ソは他の国家--とくに同盟国や衛星国--の主権を制約する〈超大国〉となったという事実である。この意味で,主権の弱体化と強大化の同時進行という矛盾を内包したのが,第2次大戦後の現代国際政治の一つの大きな特徴といってよい。だが,その米ソ関係も古典的な主権国家体系とはほど遠い。すなわち米ソも含め,現代の国家には,古典的国際政治におけるような主権国家のもつ〈浸透の限界性impermeability〉が消滅しつつある。
古典的主権国家体系においては,第1に,軍事的浸透に限界性があり,ある国家に致命的先制攻撃をかけることは至難であった。したがって先制攻撃を受けて後退しても,ある線で反撃に転じて原状を回復する余地が残されており,その意味で〈防衛〉概念が成り立っていた。戦争はすべて限定戦争であったため,〈限定戦争〉という概念は不要であった。だが米ソ対決のもとでは,核先制攻撃で相手に致命的・全面的破壊を加えることは可能であり,その意味で古典的な〈防衛〉は不可能になった。第2に,経済的な浸透の限界性についていえば,古典的主権国家の場合には,貿易依存度が比較的低いか,あるいは不可欠な資源供給地を植民地化して〈国内化〉してしまうかが一般的であった。これに比し,現代の国家の対外的経済依存度が高いことは,1970年代の〈石油危機〉によって示されたとおりである。米ソは相対的に自給度が高いが,それでもアメリカは不可欠のある種の金属(マンガン,スズ,アルミニウムなど)の供給については全面的に外に依存しており,ソ連は,その経済発展に必要な外からの公然・非公然の技術導入に大きく依存したのだった。第3に,古典的主権国家体系では情報の浸透に大きな限界があり,各国は固有の文化の壁を維持していたが,今日では文化情報の浸透は著しい。〈閉鎖社会〉といわれたソ連・東欧でも,たとえば西側の若者文化の浸透はとどめようがないのが現実であった。
もちろん,主権国家の境界をこえる,こうした浸透や相互浸透だけが現代国際政治の特質ではなく,ある意味ではこのような動向があればこそ,それへの反動として,いわゆる〈多極化・多中心化〉傾向も現れてきた。第2次大戦直後の,米ソ中心の高度のブロック化が,1950年代末以降,それへの同盟国,衛星国の抵抗により緩和されたことは事実であり,とくに1970年代の米ソデタントの時期は多極化が顕著にみられた。しかしそのことは,実は多極化自体が米ソ関係のいかんに制約されていることを示しており,事実80年代に入り〈新冷戦〉という形で米ソ関係が緊張度を増すに応じ,国際政治における軍事の比重が増し,したがって軍事的超大国米ソの動きが国際政治の要因として比重を増大することになった。換言すれば〈多極化〉は決して古典的主権国家体系の復活を意味しなかったのであり,主権国家のもっていた〈浸透の限界性〉の低下という傾向は,ほとんど非可逆的であるといってよい。ところで,古典的主権国家体系の主要な担い手であった先進国の側で,主権の空洞化が進行している反面,古典的国際政治の下では政治的実体と認められなかった非欧米世界で,〈民族〉として自己を認識し,〈主権国家〉の形成をめざす運動が急速に高まったのが第2次大戦後の国際政治の主要な特質であることはいうまでもない。北の先進国が東西にブロック化する状況の下で,新興諸国の多くが東西ブロックを拒否する〈中立主義〉〈非同盟主義〉という象徴を掲げ,〈第三世界〉の主権国家体系を主張したのは自然なことであった。
このように新興諸国の主権の主張は,反東西軍事ブロックであり,1954年の〈平和五原則〉に見られるように,反軍事支配であり,平和指向の強いものであった。確かに同じ〈主権国家〉であっても,近代ヨーロッパでは〈帝国〉を実態とするのが通例であったのに対し,〈第三世界〉の場合には,何よりも〈反帝国主義〉を意味していたという重要な差異がある。にもかかわらず,主権国家体系は基本的にアナーキーであり,したがって〈第三世界〉の国々は,まさに〈帝国〉を否定する論理として〈主権国家〉を主張することの結果,アナーキーのもつ問題性を,途上国の次元で継承・再生産するという落し穴に当面せざるをえなかった。第1に,旧帝国である先進諸国との関係で,先進国は,たとえばヨーロッパ共同体ないしヨーロッパ連合の形成にみられるように,主権国家の枠をこえた積極的な相互浸透としての横の協調と水平的分業体系としての〈地域統合〉によって発展途上国の圧力に対応したのに比し,主権国家の論理に固執する途上国は,持続的な横の協力,地域統合,〈集団的自力更生〉などにほとんど成功しなかった。第2に,それどころか,途上国間のアナーキーが,主権国家独立の達成とともに顕在化し,途上国間の戦争や軍拡競争が頻発することになった。そして第3に,古典的主権国家の多くが帝国であったのに比べ,途上国は外に植民地を獲得することは困難であるが,先進主権国家をモデルとして自国の開発を強行していく過程で,事実上の植民地をつくり出すことになった。ただし,それは多くの場合国外にではなく国内にである。都市により従属化された農村,都市内でスラム集団化されたプロレタリア群が〈国内植民地〉を構成し,途上国の国家自体が〈帝国〉の構造を内包することが少なくなかったのである。
このように途上国の側に主権国家体系が遅れて再生産されるという面があるが,だからといって,それが前述したような現代における〈浸透の限界性〉の低下という条件から独立しているわけではない。途上国の側での政治的〈主権〉の主張にもかかわらず,核時代にあってそれは軍事的主権としては矮小な意味しかもたないこと,先進国からの経済的浸透が,過去の植民地的経済構造の遺産と現時点での開発の従属的構造の強化(たとえば莫大な累積債務)という形で二重に途上国の経済的主権を拘束していること,先進国中心の国際的情報秩序の下で,画一的な消費文化の浸透に当面して土着文化の破壊が急速に進行していることなど,途上国の主権国家体系も現代的国際政治の大枠の中に包括されることになった。
世界政治の発展と構造
このようにみてくると,古典的主権国家体系では,国際政治を,もっぱら欧米の国家間関係とイメージしながら,実態としては非欧米社会を含む世界全体の政治構造を意味していたように,現代における途上国での主権国家体系も,世界的政治構造にくり込まれている。その意味で,イメージとしての〈主権国家〉や,その間の関係としての〈国際政治〉とは別に,実態としての〈世界政治〉がつねに存在していたといってよい。
さらに古典的主権国家体系は,基本的に静態的なイメージに立脚する。すなわち国際政治の主役をなす複数の大国があり,その一国が過度に強まれば他国が協力してそれを抑えるという,どの一大国も他を完全に従属化できない〈勢力均衡〉という静態的なモデルと結びついているのが通例である。こうした〈均衡〉モデルには,世界的政治システムの構造的変動という視点は入りにくい。
だが現代世界の特徴は,一方で主権国家の残照を存続させながら,実態としては,世界政治の枠組みの中に各国がくり込まれているという現実が一段と顕在化し高度化している点にある。それだけに〈国際政治〉を国家間関係としてだけでなく,世界政治のあらわれとしてとらえなおすことが現代ほど必要な時はない。
さて近代以降の世界政治の最も重要な特質は,主権国家体系のもとでの〈主権の平等〉という,基本的に対称的な国家間関係のイメージないしフィクションとは異なって,現実には国家間の不平等性と非対称性という実態が支配的だという点である。この不平等性を生み出した要因は多々あるが,歴史的な発展と変動という観点からみた場合にきわめて重要なのは,各国・各社会の間の経済発展の不平等性である。一般的にいわゆる〈近代化〉の過程は,国内での,またそれ以上に国家間・社会間の,経済的不平等の増大の過程である。そして国家間・社会間の経済的不平等を規定する要因は,ある社会が,いつ,いかなる条件の下に,自生的・持続的な資本形成を開始したかという点に深く関連する。この始点を基準にして,世界の諸国をほぼ次の四つの範疇(はんちゆう)に分けることができる。
(1)は先発先進国で,18世紀後半から19世紀前半にかけて自立的資本形成(農業によるものも含む)を開始したイギリス,フランス,やや遅れてアメリカなどが含まれる。(2)は後発先進国で,19世紀後半にこの始点に立ったドイツ,イタリア,日本,ロシアなどである。(3)は,ほぼ20世紀中葉に自生的資本形成の過程をはじめた先発後進国で,韓国,シンガポール,ブラジル,メキシコなどの〈新工業国〉,およびインド,チリ,ユーゴスラビア,一部の東欧諸国,その他の発展途上国,それに産油国が含まれる。(4)は上述の過程をまだはじめたといいにくい後発後進国で,ネパール,ラオス,ハイチ,アンゴラ,モザンビークなどである。
このうち(1)と(2)は,近代に植民地帝国の地位を占めた国々であり,他方(3)と(4)は,いずれも近代に植民地化された側である。(1)と(2)との間の時差は約50年であるのに,(2)と(3)(4)の間の時差は少なくとも約100年であることは,(1)(2)の経済発展が(3)(4)の犠牲において行われたこと,つまり(1)(2)の開発が(3)(4)の〈低開発化〉によってなされたことを示す一つの指標と解することもできる。こうして(1)(2)と(3)(4)との間は,単なる時差ではなく構造的な格差に基づく〈南北ギャップ〉の性格をもつことになった。
さらに重要なのは,この発展の不平等性と軍事化との関連である。(1)の先発先進国は同時に軍事大国となり帝国を形成した。アメリカの場合も北アメリカ大陸の制覇と西半球への君臨を達成した。ただこれらの国々の場合は,対外的には軍事化したが,国内的には先発国の利点として,比較的時間をかけた政治変動,したがって民主主義化が可能であった。これに対し(2)の後発先進国の場合には,(1)を激しく経済的に追い上げながらも容易に劣勢を克服できず,経済的劣位を軍事的対等性で補足する態勢がとられた。この急速な追上げは,ドイツ,日本,イタリアの場合,対外的軍事化(19世紀末の英独建艦競争,第1次・第2次世界大戦)と対内的軍事化を同時に伴うことになり,〈軍国主義〉の典型例となった。(1)を追い上げるソ連にも,社会主義という体制の差にもかかわらず,類似の傾向がみられた。(3)の先発後進国の場合には,急速な開発による追上げをめざし,まず国内的軍事化(軍事政権,開発独裁等)が進行し,その延長として対外的軍事化(たとえばイラン・イラク戦争)が強まっていく場合が多い。こうして世界政治には,経済発展と民主主義の双方を獲得した国,民主主義を犠牲にして経済発展を達成した国から,経済発展も民主主義も達成できない苦境にある国にいたるまで,基本的価値の驚くべき不平等配分を特徴とするヒエラルヒーの構造が存在している。そして,この不平等配分体系は,それの現状維持を利益とする勢力(国際的には既存の大国,国内的には既存のエリート層)と,それの変革をめざす勢力との対立,それに伴う世界政治秩序の軍事化を生み出してきた。米ソの対立や軍備競争も,平等な〈主権国家〉間の対立ではなく,後発国ソ連の追上げと,優位に立つアメリカの抵抗との所産と考えるほうが歴史的現実に近い。
世界政治システムのはらむこうした緊張は,究極のところ〈近代化〉と呼ばれる社会的・歴史的変動の力学に,矛盾した二つの契機が内在していることに起因する。つまり〈近代化〉の過程は,一方で国際的,国内的両面で開発に伴う経済的および軍事・技術的〈不平等〉の増大をもたらすが,他方で国際的,国内的両面で政治的〈平等〉のイデオロギーを世界的に普遍化する。〈ナショナリズム〉〈民主主義〉が後者の代表例である。この矛盾する二つの契機の間の緊張が,しばしば戦争という形までとりつつ,近代から現代へと世界政治を展開させてきた原動力であるといってよい。
現代世界政治の特質
こうした市場経済の発展と政治的平等要求との世界化が,主権国家の枠をこえて急速に進んでいるのが現代世界政治の特徴である。それは国家が消滅するといったことではなく,国家の〈主権〉性という属性が大きく制約され,空洞化していくことを意味する。こうした変化の結果,現代世界政治の担い手としては,国家だけでなく,国際組織,世界市場,市民社会という,少なくとも四つを考慮に入れる必要が生じた。
第1に,国際組織の比重が増している。確かに国際連合のような組織は,基本的に政府間つまり官際intergovernmentalの組織であるから,政治の面では国家からの独立性は高くない。しかし,国際通貨基金(IMF),世界銀行等が世界資本主義的な開発を推進し,他面,国際労働機関(ILO),世界保健機関(WHO),ユニセフ,国連難民高等弁務官事務所その他の機関が世界的な福祉社会の形成のうえで果たしている機能は無視できない。
第2は非政府レベル,つまり民際transnationalの組織であるが,これは機能を異にする二つの型に大別できる。一方には,〈近代化〉の契機の中の市場型経済開発の機能を担う多国籍企業transnational corporationがある。国家からの相当の自律性をもち,主権国家の枠をこえて行動する多国籍企業が果たしている機能は複雑で単純化しにくいが,一般的にいって,それは企業収益の増大を第一義的な目的としており,世界の経済発展や福祉増大はあくまで手段にすぎないところから,しばしば途上国の開発独裁体制との癒着を生じたり,途上国の飢餓や貧困に無関心であるという問題を示してきている。これに対して他方で〈近代化〉の契機の中の民主主義化,人権の普遍化などを推進するのが市民組織であり,これの民際的組織化,それによる国境をこえた市民社会の協力・連帯も今日急速に進んでいる。国の枠をこえた反核平和運動,人権擁護運動,地球環境保護運動などがその例である。ただ多国籍企業が収益率のいかんにより随意に投資先を移動するという,コスモポリタンな行動様式を濃厚にもつのに対し,市民運動はそれぞれの社会の特殊性に即して,〈草の根〉に基盤をおくという土着性の条件を満たすことが必要である。このことは市民運動を,自発的市民参加を基礎に社会に根づかせて市民社会を強化するうえで不可欠である。しかし同時に,市民運動は,現代では,国境をこえた民際的連帯を欠くことはできない。
そこには二つの理由がある。一つは,市民運動が取り組む問題自体が一国の枠をこえた〈世界問題world problem〉という性格をもたざるをえない客観的条件が現代世界に存在しているからである。核戦争,環境破壊,資源の枯渇などは,一国の枠をこえた,いわば物理的に世界全体のあり方や人類のミニマムの生存を左右する問題である。これに比べて社会的性格の高い人口,食糧などの問題も,個別国家単位では解決できなくなっている。そのうえ,人種の平等,女性の地位,児童や身障者の権利など,本来的に社会的な性格の問題についても,もはや個別の国家や社会の判断にゆだねるべきでない,普遍的な〈世界問題〉であるという認識が世界化しつつある。
しかし他方で,第2に,こうした市民社会,市民運動,NGOなどの力に比べて,世界化した市場の力が,圧倒的に優位に立っている。そして,市場経済の論理による限り,環境破壊や資源枯渇を悪化させ,世界的な貧富の格差を増大し,弱者切り捨て・福祉カットなどが普遍的に進行する危険は避けられない。ここに明らかなのは,市場の論理と市民社会の思想との,基本的な対立である。つまり,市場は人間の社会関係の商品化に立脚し,人間を経済的な生産性・収益性・効率という視点から手段として評価・選別するのに対し,市民社会は,社会関係の人間化を基本とし,市場を,人間が主体となって人間らしく生きるための手段としてコントロールすることをめざす。
このように見れば,21世紀の世界政治は,市場と市民との相克を基本的な原動力として変動していくだろうと考えられる。もちろん,国家と国際組織も,その役割を演じていくだろうが,その役割とは,市場と市民社会とが原動力となって引き起こす変動にどう対応し,それをどう秩序づけるかという,対応機能であって,国家や国際組織そのものが新たな変動の原動力になる公算は小さいだろう。そして,市場と市民とのせめぎあいの過程で,市民の側での,国境をこえた世界的問題意識が,ますます強まっていくだろう。それは,〈近代化〉に伴う不可避的で非可逆的な変動の客観的条件に裏付けられたものだからである。こうして,古典的近代国際政治では潜在的な〈事実〉としてしか存在しなかった世界政治が,いやおうなしに急速に〈自覚〉され意識化されるようになってきているのである。
執筆者:坂本 義和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報