篠原一男(読み)しのはらかずお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「篠原一男」の意味・わかりやすい解説

篠原一男
しのはらかずお
(1925―2006)

建築家工学博士静岡県生まれ。1952年(昭和27)に東京工業大学工学部建築学科を卒業。在学中は清家清(せいけきよし)に師事する。53~62年、同学科一般教育図学教室の助手を経て、62年助教授となる。67年、博士論文「日本建築の空間構成の研究」により工学博士号を取得し、70年、同教授に就任。86年、同大名誉教授。84~86年エール大学およびウィーン工科大学客員教授。

 篠原が博士号を取得した、日本の伝統建築の空間構成に関する研究は、それまでに実現していた篠原自身の初期の住宅設計と連動している。当時の前衛的な建築家たちの多くが、壮大な都市デザインを提示していたなかで、篠原は「住宅は芸術である」と宣言し、日本の伝統建築のもつ特性を抽象化させながら独立住宅を発表していた。この時期の作品には処女作、久我山(くがやま)の家(1954)や、谷川さんの家(1958)、狛江(こまえ)の家(1960)、から傘の家(1961)、白の家(1966)などがある。比較的小さな住宅に大きな空間が導入されているこの時代の作品群を、篠原は自ら、「第一の様式」とよんだ。そして、以後、その建築スタイルは、「第二の様式」、「第三の様式」、「第四の様式」、「第五の様式」として展開されてゆくことになる。

 「第二の様式」の作品である篠さんの家(1970)、直方体の森(1971、現在はギャラリー)、未完の家、同相の谷(いずれも1971)では、きわめて単純な幾何学的形態を用い、「亀裂の空間」とよばれる住宅内部を横断する空間を導入し、住宅内における機能のない象徴的な空間の重要性を表現した。建築のもつ幾何学性、抽象性に着目するこうした態度は、主構造が木造架構の「から傘の家」や「白の家」などからみられたが、主としてコンクリートを用いるようになるこの時期に至ってより明らかなものとなる。「未完の家」に続く一連の住宅作品で日本建築学会作品賞を受賞。

 つづく「第三の様式」といわれる、谷川さんの住宅(1974)、上原通りの住宅(1976)、高圧線下の住宅(1981)、日本浮世絵博物館(1982、長野県)は、無機性、非叙情性を特徴とする。この様式ではそれまでの完結的で情感に満ちた建築とは対照的な、即物的で意味が排除された「零度の建築」が目ざされた。意味、物語を排除された建築を人が気ままに横断するとき、人と建築の交流によって、建築家が用意していなかったさまざまな「意味」が現れることが意図されている。篠原はこうした建築を「意味の生産装置」、すなわち「意味の機械」とよんだ。

 「第四の様式」とよばれる、ハウスインヨコハマ(1984)、東京工業大学百年記念館(1987、東京都。芸術選奨文部大臣賞)、熊本北警察署(1990)などは幾何学的な形態の組み合わせを特徴とする。幾何学的表現は外観だけでなく、立面、家具にまで及んだ。これらの作品では、幾何学的形態を組み合わせたいままで目にしたことのない形態によって、建築の形の可能性が示された。

 「第五の様式」は明確には定義されていないが、篠原が近年手がけた、ホテルや客船ターミナル、都市再開発といったプロジェクトなど、都市スケールの建築を象徴すると考えられる。

 篠原は活動の初期から、「空間の分割」「正面性」「裸形事物」「カオス」「ノイズ」などの独自に編み出したキーワードよって自らの作品を説明する態度をとり、時代の潮流と距離を置いた作品をつくり続けた。その一方で建築のもつ圧倒的な力を示し続ける設計態度は、国内の若い世代はもちろん、海外の建築家たちからも賞賛を受け、絶大な人気を誇る希有(けう)な日本人建築家であり、篠原の影響を受けた建築家たちは国内外に数知れない。

 1997年(平成9)毎日芸術賞特別賞受賞。紫綬(しじゅ)褒章(1990)、勲三等旭日中綬章(2000)受章。

[堀井義博]

『『住宅建築』(1964・紀伊國屋書店)』『『住宅論』(1970・鹿島出版会)』『『篠原一男――16の住宅と建築論』(1971・美術出版社)』『『続住宅論』(1975・鹿島出版会)』『『篠原一男2――11の住宅と建築論』(1976・美術出版社)』『『篠原一男』(1996・TOTO出版)』『『超大数集合都市へ』(2000・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』『川添登・大高正人・菊竹清訓監修『世界建築設計図集15 篠原一男』(1984・同朋舎出版)』『Kazuo Shinohara; Architecte Japonais (1979, SAGD+L'Équerre, Paris)』『Kazuo Shinohara (1981, IAUS+Rizzoli, New York)』『Kazuo Shinohara; Works and Projects (1994, Ernst & Sohn, Berlin)』

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百科事典マイペディア 「篠原一男」の意味・わかりやすい解説

篠原一男【しのはらかずお】

建築家。静岡県生れ。1947年東京物理学校卒業後,東北大で数学を学ぶ。1949年東京工大建築学科に入学し清家清に師事。1953年卒業後助手を務め,1970年―1986年教授。〈からかさの家〉(東京,1961年),〈未完の家〉(東京,1970年),〈上原通りの住宅〉(東京,1976年)などによって住宅作家としての評価を得る。独自の空間概念に基づく抽象度の高い造型は,続く世代に大きな影響を与えた。1980年代以降は公共建築も手がけ,多様な素材と形態を一つにまとめ上げた〈東京工業大学百年記念館〉(1987年),〈熊本北警察署〉(1990年)などを手がけたほか,国際コンペにも参加している。著書《住宅論》(1971年)等。
→関連項目長谷川逸子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「篠原一男」の意味・わかりやすい解説

篠原一男
しのはらかずお

[生]1925.4.2. 静岡
[没]2006.7.15. 神奈川,川崎
建築家。 1947年東京物理学校卒業,その後東北大学で数学を学ぶ。東京医科歯科大学助教授を辞し,1949年東京工業大学建築学科に入学,清家清に師事した。同大学助手,助教授を経て 1970~86年教授,1986年名誉教授。 1950~60年代は住宅設計を手がけ,久我山の家 (1954) ,から傘の家 (1961) ,白の家 (1966) など,日本の伝統的な建築様式を抽象化し,現代的な機能美との融合をはかった。 1971年,未完の家以後の一連の作品で日本建築学会賞受賞。住宅建築以外にも活躍の場を広げ,芸術選奨文部大臣賞を受賞した東京工業大学百年記念館 (1987) ,熊本北警察署 (1991) など多くの作品がある。 1990年紫綬褒章,2000年勲三等旭日中綬章を受章。 2005年日本建築学会大賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「篠原一男」の解説

篠原一男 しのはら-かずお

1925-2006 昭和後期-平成時代の建築家。
大正14年4月2日生まれ。清家清(せいけ-きよし)にまなぶ。昭和45年東京工業大教授となる。一貫して個人住宅をつくる。「未完の家」以後の一連の住宅設計で,47年建築学会賞。平成元年「東京工業大学百年記念館」で芸術選奨。作品はほかに「から傘の家」など。平成18年7月15日死去。81歳。静岡県出身。東北大卒,東京工業大卒。著作に「篠原一男」「16の住宅と建築論」など。

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