日本大百科全書(ニッポニカ) 「米水津」の意味・わかりやすい解説
米水津
よのうづ
大分県南部、南海部(みなみあまべ)郡にあった旧村名(米水津村(むら))。2005年(平成17)佐伯市(さいきし)に合併し、現在は同市の東部にあたる地域。旧村名は中世以来の地域名による。九州山地北東端の一部で、豊後(ぶんご)水道リアス海岸の一湾、米水津湾に臨む。農業は三つの小扇状地のミカン栽培がおもで、水田はない。漁業は宮野浦(みやのうら)のイワシ巾着(きんちゃく)網漁業を中心に、アジ、サバ、イカなどの一本釣り・網漁業やブリ養殖がある。間越(はざこ)の潟湖(せきこ)をつくる砂州にはハマユウ、沖黒島(おきのくろしま)、竹野浦(たけのうら)にはビロウが自生する。
[兼子俊一]
『山田平之丞・麻生信二著『米水津村誌』(1966・米水津村)』▽『山田平之丞著『郷土ものがたり』(1972・金田寅己)』