日本大百科全書(ニッポニカ) 「経済的自由主義」の意味・わかりやすい解説
経済的自由主義
けいざいてきじゆうしゅぎ
個人に経済活動を行いうる自由(経済的自由)が保障されるならば、経済社会は自然に調和のとれた発展を遂げ、個人の私的利益のみならず、社会全体の経済的利益も促進されるという考え方をいう。経済的自由には、住居・職業選択の自由、財産私有の自由、営業の自由(私的利潤追求、取引の自由)などが含まれる。
絶対主義体制の成立は、資本主義経済の前提の一つである国家的に統一された国民経済を実現したとはいえ、そこでは経済的自由の前提となる法的(市民社会的)自由が制限されており、また、国王の特許による営業の独占など、経済的自由そのものを阻害する要因も数多く存在した。こうした阻害要因が市民革命によって基本的に取り除かれることによって、自由競争原理に基づく資本主義経済が成立してきたのである。こうして経済的自由を保障された個々人が、統一的な国民経済を背景に自己の利益を唯一の目的として経済活動を行うことが、結果的に社会の富を増大させ、また「見えざる手」に導かれて「経済社会の調和のとれた発展」も実現されることを理論的に明らかにしようとしたのがアダム・スミスの経済学である。したがって、本来、経済的自由主義とは、国家が個々の経済主体の経済活動に干渉しないことを根本原理とする考え方であった。
しかし、自由競争原理に基づく資本主義が、その発展過程で、自己の胎内から独占・寡占や組織的労働運動など、経済的自由を阻害する諸要因を生み出し、また、失業・貧困、経済恐慌など、社会的調和を阻害する要因を自律的に解消しえないという現実も明らかになってきた。その結果、経済的自由主義の考え方にも種々の変化が生じたのである。独占・寡占や組織的労働運動など、自由競争の阻害要因について、それらも個々の経済主体の自由意志に基づくものである限り許容されるべきであり、政府の介入はあくまで回避すべきであるという考え方がある一方で、経済的自由主義が本来目ざしていた「経済社会の調和のとれた発展」を実現するという目的に沿うのであれば、政府の介入によってでもそれらの阻害要因は規制すべきであるとする考え方も存在した(L・ブレンターノ、T・H・グリーンら)。1929年の世界恐慌以降、失業や恐慌を回避して経済的調和を実現するためには、政府が経済に直接介入することが必要であるという考え方(ケインズ主義)が広く受け入れられることになった。第二次世界大戦後には、政府の財政支出による公共投資などで有効需要を創出する完全雇用政策、累進制の税制と社会保障による所得再配分で所得の不平等を緩和する政策、独占禁止法の制定などで競争を促進する政策が先進諸国で実施された。
ケインズ政策の実施は、各国の財政支出・財政赤字を増大させ、さらに、1970年代のオイル・ショックで、景気の停滞とインフレーションが同時に発生するスタグフレーションなどの矛盾が顕在化するに至り、ケインズ政策の有効性を否定する新自由主義が台頭することとなった。新自由主義は反ケインズ主義では共通しているものの、マネーサプライは実物経済に影響を与えないとしてケインズ流の財政金融政策の有効性を否定するマネタリスト(M・フリードマンら)、有効需要の拡大ではなく供給サイド(企業の蓄積条件)の強化のために、減税と社会保障の縮小や企業に対する規制緩和を主張するサプライサイド理論(A・B・ラッファー、G・ギルダーら)、利益集団の要求によって財政が膨張するのを抑止するために、憲法的ルールによる財政運営を主張する公共選択理論(J・M・ブキャナン)など、その主張は一様ではない。しかし、これらの諸理論は、その根底に「政府の経済介入を最小限に抑制し、経済を市場に任せて競争を促進することが、資源の効率的配分と社会的富の増大を実現する最善の方法である」という「市場原理主義」思想を共有しているのである。新自由主義は、政府の介入を完全に否定するのではなく、企業活動の自由を促進する諸政策の実行を政府に要求するものであるから、古典的自由主義への単なる回帰ではない。新自由主義の主張は、アメリカのレーガン政権(1981―89)、イギリスのサッチャー政権(1979―90)、日本の中曽根政権(1982―87)以降の各国政府によって、「小さな政府」を指向する政策として導入されている。
[佐々木秀太]