昔話。継子が継母にいじめられることを主題にした一群の昔話。抽象化した類型的な人生を語るための特定の人間関係の枠として、継母と継子はしばしば昔話に登場する。「花咲爺(はなさかじじい)」のような「隣の爺話」が一般的な善人と悪人を描き、「兄弟話」が対等な近親者の協力と競争を語っているのに対して、「継子話」は、親密な情愛でつながっているはずの親と子が、利害が相反する義理の関係であるために、一転して激しい憎悪の感情で支配されるようになるという、人間関係の精神的親疎の両極を一点に絞って表現しているところに特色がある。「継子話」は継母のいじめの方法により2大別できる。一つは、不可能な課題を与えて継子を苦しめる話である。第二は、継子を殺害するか追い出すかする話である。いずれも継子の苦難は、継子を守護する生母の霊や神仏の霊力によって救われる。また継母の実子は、基本的には継母と同じ立場で、継子との競争相手に仕立てられているが、そうした立場を超えて、実子が継子の協力者になっている話もある。一夫多妻制の社会を背景にした話では、一夫一妻制の先妻・後妻のかわりに、2人の妻として語られている。また子供については、継母の実子が連れ子、あるいは継子が父親の連れ子として描かれていることもあるが、本質的には意味は変わらないようである。「継子話」の歴史は古い。中国では古代の君主として著名な舜(しゅん)の生い立ちの史伝が「継子話」になっている。司馬遷(しばせん)の『史記』(前1世紀)に詳しい。舜は継母に虐待され、堯(ぎょう)王の2人の娘と結婚したあと、継母の実子の象(ぞう)の策略で殺されそうになる。倉の修理を言いつけられて倉に上ったところを下から火をつけられたり、井戸さらいをしろといわれて井戸に入ると生き埋めにされたりするが、妻の助言でことなきを得る。原拠という『書経』の本文は伝わらないが、すでに『孟子(もうし)』(前4世紀)にみえる。舜自体、伝説的な存在で、この史伝はきわめて古い物語に由来するらしい。舜の物語を「継子話」としてまとめた俗講文学に、敦煌(とんこう)文書の『舜子至孝変文』(950)などがある。
この「舜子変文」は、そのままの形式で、日本では「継子の井戸掘り」の昔話として知られているが、類型群としては、チベット語とモンゴル語で書かれた中世的な『不思議な屍体(したい)の物語』の「日光月光(にっこうがっこう)」の話や、古代的な『観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)浄土本縁経』(偽経という)の「早離速離(そうりそくり)」の話などとも同一範疇(はんちゅう)に属する。この父親の留守中に継母が継子を亡きものにしようとする話は、日本では、鎌倉後期の『箱根権現(はこねごんげん)絵巻』や物語草子の『月日(つきひ)の本地(ほんじ)』などの本地物になり、昔話では「お銀小銀」として伝わっている。一つの範疇の「継子話」が、東アジアでは2500年を隔てて生き続けていたことがわかる。「継子話」には、比較的まとまった形で世界各地に広まっている話もある。「シンデレラ」(日本の「糠福米福(ぬかぶくこめぶく)」)や「手なし娘」もその一例である。冬のさなか継母が継子にイチゴをとりに行かせる「継子と冬の苺(いちご)」も、興味深い分布を示している。この昔話はヨーロッパ全般でよく知られているほか、インド、朝鮮、日本では長野県、山梨県、東京都八丈島などにあり、アメリカ北西岸先住民にも及んでいる。これらのアジアやアメリカの話の周辺には、継子とはいわない類話もあり、そのなかで一貫して「継子話」としての広がりを維持していることは、「継子話」という枠の意味の重さを物語っている。「継子話」は継母と継娘との葛藤(かっとう)を描くのが普通で、継子が男子である話は少ない。継母のかわりに継父が登場することはさらに珍しい。しかし、アメリカ・インディアンのように、継父と継息子という例もある。「継子話」は社会慣習や信仰を反映して発生したといわれるが、それが文芸に定着した事情は、かならずしも明確ではない。おそらく、あたりまえの親子関係のあり方を説くために、異常な、義理の関係の親子を取り上げたものであろう。仮構としての昔話の発生は、この点から考えてみる必要がある。継子は継親に対して従順であり、誠を尽くしている。「継子話」はそのまま「孝子話」であることが多い。舜の史伝も、その孝子ぶりを語っている。
日本では平安中期から『落窪(おちくぼ)物語』『住吉(すみよし)物語』など、継子いじめを主題にした物語文学が生まれているが、「継子話」と比べて類型的特色も乏しく、現実の社会に取材した小説であるという見方もある。しかし、継子いじめが文学になるという事実も重要である。『源氏物語』の構想も、広い意味では「継子話」の型を踏んでいる。生母を幼くして失った光源氏にとっては、わが子を皇太子に擁立しようとする弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)は、いわば継母である。これらの物語文学の成立の基底には、やはり文芸としての「継子話」が置かれていたとみてよい。
[小島瓔]
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