アジール(読み)あじーる(英語表記)Asyl ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アジール」の意味・わかりやすい解説

アジール
あじーる
Asyl ドイツ語

犯罪人や奴隷などが過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所のこと。ギリシア語のasylos(害されない、神聖不可侵の意)に由来する。国家刑罰権がまだ組織的、体系的に確立していなかった前近代では、ほとんどの社会でみられた制度である。本来この制度は、聖域に入った者に害を加える(復讐(ふくしゅう)する)ことは神を冒涜(ぼうとく)するものという原始宗教観念に基づいていた。古代ギリシアでは、神殿は虐待(ぎゃくたい)を受けた奴隷や犯罪人、債務者を保護する場所とされ、神殿に逃れて神の保護に入った者を取り戻したり、これに制裁を加えることは宗教的罪と考えられた。ユダヤ民族でも、モーゼが六つの逃遁邑(のがれのまち)を設けて、過って人を殺害した者を一定期間保護したことが伝えられている。アジールゲルマン民族にもみられるが、古代ローマでは、専制君主政時代になった4世紀に、キリスト教会が皇帝勅令によりアジールとして認められ、これがローマ帝国滅亡後のゲルマン人諸国家に継承された。中世封建社会になると、教権と世俗的権力の対抗のなかでアジールの数は増加し、教会や修道院ばかりでなく、渡船場水車小屋領主の館(やかた)などに逃げ込んだときは私的な復讐が禁じられ、裁判で和解する手段がとられるようになった。教会はこの特権を利用して権力の拡大を図ったが、16世紀以降、絶対君主の権力が確立するに伴って、フランスでは1539年、イギリスでは1624年、ドイツでは18世紀末に消滅した。未開民族の間では今日でもこの制度がみられる。

[佐藤篤士]

 日本では、古く対馬(つしま)に原始的アジールの存在したことが知られるほかは、アジールの制は鎌倉時代以後、仏教寺院において発達した。ことに室町末期ごろから戦国時代にかけて、寺院アジールの制は発達したようである。もっとも、すべての寺院がその特権を有していたわけではなく、分国の国主菩提寺(ぼだいじ)(たとえば薩摩(さつま)の島津家の菩提寺福昌寺(ふくしょうじ))など、とくに国主と関係の深いものにこの特権が認められることが多かった。対象は主として、犯罪人と逃亡した下人(げにん)である。しかし、分国内の政治的統一が強化されるにしたがって、アジールの特権も国主などによって否定された。織田信長豊臣(とよとみ)秀吉もこの政策を踏襲した。江戸幕府も同じ方針をとったので、江戸時代には前記の意味のアジールは一般的になくなったが、縁切寺(えんきりでら)(東慶寺、満徳寺など)の制はその名残(なごり)と考えられる。

[石井良助]

『平泉澄著『中世に於ける社寺と社会との関係』(1926・至文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アジール」の意味・わかりやすい解説

アジール
Asyl

聖域を意味する語。そこに逃げ込んだ者は保護され,世俗的な権力も侵すことができない聖なる地域,避難所をいう。古くはユダヤ教の祭壇,ギリシアやローマの神殿,日本の神社や寺院の領域が,これに当たる。国家などの支配力が,まだ民衆の生活の末端まで及ばない段階において,宗教的権威によって,民衆の生活を保護する役目を担っていた。しかし,国家権力が強まるにつれてアジールの役割も奪われ,権力への反逆者をかくまう力はなくなっていく。日本でも,鎌倉の東慶寺,群馬県の満徳寺などのように,徳川家とゆかりの深い寺だけが,離婚を切望する女性の駆込寺 (縁切寺) として許されていた。織田信長などが,商人に自由な営業を許した楽市・楽座も一種のアジールであるが,このように,支配者が自己の力を強めるためにアジールを利用することもあった。子供の遊びに,決められた特定場所に入ると,「鬼」も捕えにくることができないルールのものがあるが,今や完全なアジールは,子供の遊びの世界に残るだけである。

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