緑営(読み)リョクエイ(英語表記)Lù yíng

デジタル大辞泉 「緑営」の意味・読み・例文・類語

りょく‐えい【緑営】

中国代の兵制で、漢人によって編成された常備軍の一。旧明軍を改編して組織したもので、軍旗緑色を用いたところからの名。騎兵歩兵に分かれ、主として治安維持などに当たった。緑旗。→八旗はっき

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精選版 日本国語大辞典 「緑営」の意味・読み・例文・類語

りょく‐えい【緑営】

中国、清朝の正規軍一つ。漢人を主体に、明代の旧軍を改編して組織。軍旗に緑色を用いたところからの称。緑旗。

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改訂新版 世界大百科事典 「緑営」の意味・わかりやすい解説

緑営 (りょくえい)
Lù yíng

中国,清代の正式軍隊の一つ。緑旗ともいう。緑営,緑旗の名はその旗色に由来する。清朝の軍制は八旗と旧明朝の軍隊を改編した緑営から成っていた。清は明の衛所制下の軍隊を緑営に改編するに際し,漕運関係以外の衛所をほとんど廃止して州県に帰併し,また兵丁は民間から召募して俸給を支給した。首都北京に置かれた緑営を巡捕営といい歩軍統領に属した。各省に配置された緑営の主力は提督に属して提標といい,ほかに督標,撫標,河標,漕標,鎮標などがあり,おのおの総督巡撫,河道総督,漕運総督,総兵に属した。緑営の専官には上から提督,総兵,副将,参将,遊撃,守備などがあり,また緑営の単位として標の下に営,営の下に汛(または哨)が設置された。緑営本来の仕事はむしろ警察的任務にあり,軍隊としては三藩の乱の鎮圧や乾隆期(1736-95)の諸遠征に利用されたが,乾隆末以後,武官の腐敗と兵丁の質の低下によりしだいに弱体化した。
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百科事典マイペディア 「緑営」の意味・わかりやすい解説

緑営【りょくえい】

中国,清朝の常備軍の一種。満州族を中心に編成された精鋭の八旗軍に対して,漢人を中心に編成され,治安の維持と八旗軍の不足を補った。緑色の旗で八旗と区別したためこの名があり,兵士を緑旗兵ともいった。3代順治帝時代(1643年―1661年)に逐次設けられた。明の旧軍人を中心に,ほぼ営制も明末の制度を受け継ぎ,兵員を補充する時も,既に営兵である者の縁故者を採用し,なお欠員があれば一般から募集した。康煕帝時代の三藩の乱(1673年―1681年)では大きな戦果をあげたが,本来,軍隊的機能と警察的機能を併せもったことが,かえってその軍事的機能を低下させることにつながり,しかも職掌上で民間と接触があったため腐敗が著しく,清末には無力化して清朝の弱体化の一要因ともなった。康煕・雍正・乾隆時代(1661年―1795年)の盛時には兵力60万に達したが,清末には約40万といわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「緑営」の意味・わかりやすい解説

緑営
りょくえい

中国、清(しん)代の軍事組織。緑旗ともいう。清朝兵制の根幹は満州人を中核とする八旗であったが、緑営は明(みん)代の兵制を踏襲して1644年から漢人のみで編成し、軍旗の色を緑としたことに名称の由来がある。なお、清朝の建国(1636)に協力した漢人は八旗漢軍に編成された。緑営には大別して在京緑営(京営)と在外緑営(直省緑営)がある。京営は歩軍統領の指揮下に北京(ペキン)に駐屯した。その任務は管内を巡警して盗賊の逮捕にあたることで、軍隊というよりは警察である。在外緑営は、地方行政の任にあった総督、巡撫(じゅんぶ)、提督、総兵官、四川(しせん)成都将軍、河東・江南河道総督、漕運(そううん)総督の指揮下に置かれ、もっとも多いときは60万人以上あったが、すべて細分化して配置され、それを駐防八旗が監視するという形態であった。清末には無力化して勇営、練軍にとってかわられた。

[細谷良夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「緑営」の解説

緑営(りょくえい)

清朝の正規軍の一つ。その旗色により緑旗兵ともいう。清朝が中国本土に進出後に,明朝の旧軍人を主体に編制した軍隊で,主に漢人からなる。漢軍八旗と区別する場合は,漢兵という。京師(けいし)巡捕営と各省緑営とに分かれ,前者は総兵員約1万人で歩軍統領が統括し,後者の総数は約60万で,総督巡撫(じゅんぶ)などが率いた。軍隊というものの,平時には営や汛(じん)に分属して主に治安維持にあたった。三藩(さんぱん)の乱の鎮圧には軍隊として活躍したが,清代後半に急速に弱体化した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「緑営」の意味・わかりやすい解説

緑営
りょくえい
Lü-ying

中国,清代に漢人を主体に編成された正規軍。八旗 (はっき) と区別するために旗色を緑としたので,その軍隊を緑旗ともいい,その兵を八旗漢軍兵と区別して緑旗兵とか漢兵と呼んだ。清が中国内地に進出した順治年間 (1644~61) に投降した明の軍人の希望者で編成し,全国に設置。京師の緑営 (巡捕営) と各省緑営とがあり,巡捕営は歩軍統領のもとで京師の治安維持にあたった。また各省緑営は,総督,巡撫,提督らのもとで,地方の治安維持にあたった。その数は 60万にも達し,乾隆・嘉慶年間 (1736~1820) に最大となったが,清末には無力化した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「緑営」の解説

緑営
りょくえい

清朝が明の軍隊を吸収して作った漢人の常備軍
清が中国本土に進出後に編成。八旗につぐ正規軍だが,それと区別するために旗を緑色としたため緑旗ともいう。八旗に対し,第2軍として北京の外城や郊外の警備に従事するものと,各省直属の軍団とがあり,総数は約60万人いた。三藩の乱鎮圧に活躍したが,白蓮 (びやくれん) 教徒の乱,さらに太平天国の乱以後は役に立たず,清末期には40万人に減った。

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世界大百科事典(旧版)内の緑営の言及

【清】より

…その後八旗が人口の増加と漢人経済の影響を受けて貧困化したことは日本徳川時代の旗本と同様で,八旗は貧困化すると同時に弱体化した。八旗とは別に緑旗(緑営)とよばれる60万から80万の漢人部隊が編成されて地方の治安維持や雑役にあたった。つぎに政治,行政では満州族特有の最高機関として入関前から議政王大臣という会議があったが,康熙末年には有名無実となり,雍正時代(1723‐35)からは軍機処が新設され,皇帝のもと数名の軍機大臣による軍事,政治を決する最高政務機関となった。…

※「緑営」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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