義海(読み)ぎかい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「義海」の解説

義海(2) ぎかい

?-1755 江戸時代中期の僧。
浄土宗。江戸増上寺の学寮にまなぶ。武蔵(むさし)岩槻(埼玉県)の浄国寺,上野(こうずけ)(群馬県)太田の大光院の住持をつとめる。華厳宗の学僧鳳潭(ほうたん)の「念仏往生明導剳(みょうどうさつ)」に対して,享保(きょうほう)16年「蓮宗禦寇(れんしゅうぎょこう)編」をあらわして反論した。宝暦5年1月10日死去。字(あざな)は沖黙。号は騰蓮社空誉。

義海(1) ぎかい

871-946 平安時代中期の僧。
貞観(じょうがん)13年生まれ。豊前(ぶぜん)(大分県)の人。天台宗比叡山延暦(えんりゃく)寺の玄昭のもとで出家天慶(てんぎょう)3年天台座主。天慶の乱に際して藤原純友(すみとも)らを調伏する大威徳法をおこなった。天慶9年5月10日死去。76歳。俗姓宇佐通称は山本座主。号は常善房。

義海(3) ぎかい

1788-1832 江戸時代後期の僧。
天明8年生まれ。右大臣近衛経煕(このえ-つねひろ)の子。天台宗。聖護院(しょうごいん)門跡(もんぜき)の盈仁(えいにん)入道親王から戒をうける。大僧正,一身阿闍梨(あじゃり)にのぼり,園城寺(おんじょうじ)長吏,京都実相院門跡をつとめた。天保(てんぽう)3年3月11日死去。45歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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